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リトガー・ブレグマン著『隷属なき道』を読み解く:8記事統合による全体像と核心|旧サイト記事集約移管シリーズ-2

 

今回は第7章 優秀な人間が、銀行ではなく研究者を選べば 」及び第8章 AIとの競争には勝てない 」を取り上げます。

第7章の構成は、以下のとおりです。

第7章 優秀な人間が、銀行ではなく研究者を選べば
 1)ニューヨークを混乱に陥れたゴミ収集作業員
 2)富を作り出すのではなく移転しているだけ
 3)農業や工業の生産性向上がサービス産業の雇用を生み出した
 4)アイルランドの銀行員ストライキの奇妙な事態
 5)1万1000軒のパブを中継点とする貨幣システム
 6)「くだらない仕事」に人生を費やす
 7) 専門職の半数が自分の仕事は「意味も重要性もない」と感じる
 8)「空飛ぶ車が欲しかったのに、得たのは140文字だ」
 9)研究者が1ドル儲けると、5ドル以上が経済に還元される
 10)現在の教育はより楽に生きるための潤滑油にすぎない
 11)新たな理想を中心に教育を再構築する
 12)ゴミ収集作業員は ニューヨークのヒーロー


 1968年2月にニューヨーク市のゴミ収集作業員のほぼ全員7000人が、違法とされていたストライキで全市のゴミ収集作業を中止。市長が非常事態宣言を出し、抗議活動への譲歩も拒否したが、スト開始後2.3日後にはスラムのようになり、9日目に積み上がったゴミは10万トン。地元紙もスト参加者を、強欲的な自己中心主義者と攻撃したが無力で、市側は現実を理解し、折れざるをえなかった。

 スト後50年が過ぎたが、最近では「NYの誰もがごみ収集員になりたがる」と新聞の見出しを飾り、この作業員たちは、人も羨む報酬、勤続5年で年俸7万ドルに、残業手当と各種手当を得ている。
 公衆衛生局のスポークスマンは、「彼らが街を動かしており、万一彼らが仕事をやめたら、NY全市が機能停止に陥る。彼らがNYのヒーローとみなされているのは、理由があってのこと」笑顔で語っている。


 「優秀な人間が、銀行家ではなく研究者を選べば」と題された第7章は、このお話で始まり、エンドを飾っています。
 コロナ禍でも注視すべきとされた「エッセンシャル・ワーク」についての、過去の物語の一つですが、極めてリアルで、本質的な話です。

 では、タイトルの「研究者」の話とはどんなことでしょうか。

<研究者が1ドル儲けると、5ドル以上が経済に還元される>というタイトルが付いた節が、本章の後半に出てきます。
 その前に出てきたのが、NYのごみ収集員に対して、アイルランドの銀行員のストライキとその結果の話。
 数えきれない多くの人々が、仕事人生のすべてを、自ら無意味と思う仕事、「くだらない仕事」に費やし、専門職の半数が、自分の仕事は「意味も重要性もない」と感じているという話。
 銀行員のストでは、1万1千軒のパブを中継点として独自通貨発行による貨幣システムを作り、停止した機能を代替したことが紹介されています。

 その後に、研究者が云々という話です。
 意味のある、価値を生み出す仕事で、真の革新や創造性が報われるようにするために、経済、税金、大学はすべて刷新されなければならない。
 例えば、金融業界を抑制するために取引税を導入するなど、それで皆がより豊かになれる税金の改革に最初に手を付けるべきなのだが、現実は逆で、金融業界に就職する人が、研究職に進む人を上回る状態になった、と。

 その結果、銀行が1ドル儲けるごとに経済の連鎖のどこかで60セント失われている計算になるんだが、研究者が1ドル儲けると、5ドルあるいはそれを遥かに上回る額が、経済に還元されると。
 簡言すれば、否、簡単に言えば、税金を高くすれば、有益な仕事をする人が増える、というお話でした。


 これをハーバード大学流に言うと、高額所得者に高い税金を課せば、「才能ある個人を、負の外部性を持つ職業から、生の外部性をもつ職業に再分配する」のに役に立つ、ことになるそうです。
 こうなれば、研究者もNYの作業員のように、ヒーローになれる???
 「風が吹けば、桶屋が儲かる」という庶民的なお話ではなく、少々高尚に感じられるお話でしたが、税収を増やすことばかり考える研究者が増えても困ることは言うまでもありません。
 あくまでも例え話。
 でも、あまりいい例え話、笑えもしないし、納得・感動もしない、お粗末なお話でした。

 敢えて、ここでこのことについて真剣に考えるなら、どんな研究者ならばヒーローになれるか、や、何を研究する研究者に価値があるか、あるいは価値を生み出せるか、でしょうか。
 今の私が、研究者に望みたいこと。
 最大・最重要なものは、ベーシックインカム実現の決め手になる研究成果を創出してくれる、あるいは、当生サイト提案の日本独自のベーシックインカム、ベーシックペンション生活基礎年金の実現のために残る諸課題の解決策を研究し、後押しもしくは一緒に活動してくれる研究者です。

 しかし、現状BI論を展開する研究者は、偏った主張・提案や、提案に含むべき課題が欠落している人がほとんど。 
 また反対に、BI論を批判・否定する研究者のほとんどは、BIに取って代わる適切な方策・政策を持ち得ていない研究者と見ています。

 ルトガー・ブレグマンも研究者の一人ですが、税金の研究よりも、ユートピア論としてのベーシックインカム主張ではなく、政治イシュー化し、その活動を通じて、BIの合理性・必要性とその方策を、法律案と共に提起・提案するための具体的な研究をお願いしたい、そう切に願っています。


 現実の仕事の多くは、富を産み出すのではなく、富を移動させているだけと言うブレグマン。
「現実の教育が、より楽に生きるための潤滑油に過ぎない」と例えてもいます。
 ゆえに、これからの教育は、そうであってはいけないと言うのは理解・納得できるものです。
 教育について、ブレグマンの話を少しかいつまんでみます。

よりよい世界の探求を始める場所があるとすれば、それは教室だ。(略)
仮に、最も影響力のある職業のリストを作るとしたら、教師はトップランクに位置付けられるだろう。
それは教師が、金や権力や地位といった報酬を生むからではなく、それよりもはるかに大きいなもの、すなわち人類の歴史の流れを形作るからだ。
(略)
いずれ社会に配当を還元できる形で、介入できる場所があるとすれば、それは教室である。

ん~、重いなあ、という感じです。

今、教育について議論されるのは、主に形式や教授法だ。
教育は一貫して、適応の手段として、つまり、人生をより楽に生きるための潤滑油として提供されている。
教育についての会議では、トレンドウォッチャーが次々に演壇に立ち、未来を予測し、21世紀に必要とされるスキルを語る。
「創造性」とか「柔軟さ」、「適応力」といったもっともらしい言葉を使って。
(それらは、間違っている。)
(略)
利己主義が、21世紀を生きる上で欠かせないスキルになるのは、法律や市場やテクノロジーがそれを求めるからではなく、明らかに、わたしたちが利己的に金を稼ぎたいと思っているからだ。

ん~、これも一面的すぎるよな~、という感じです。
そして、<新たな理想を中心に教育を再構築する>主張に進みます。

そうならないために、まったく異なる問いを提示しなければならない。
それは、2030年に、自分の子どもに備えていて欲しい知識とスキルとは何か、というものだ。
そうすると、期待や適応ではなく、舵取りと創造に焦点を絞ることになる。
あれやこれやのくだらない仕事で生計を立てるために何をなすべきかではなく、どうやって生計を立てたいかを考えるのだ。
(略)
新たな理想を中心に教育を再構築すれば、求人市場は喜んでついてくるだろう。
より多くの芸術、歴史、哲学思想を学校のカリキュラムに組み込むことを想像しよう。
芸術家や歴史家や哲学思想家の需要がきっと増える。
(略)
労働時間を短縮するのは、座ってぼんやり過ごすためではなく、本当に重要なことにより多くの時間を費やすためなのだ。


 ん~、どうやら理想社会では、のんびり生きてもいられないようですね。
 少しは理解できる部分はあったも、随分独善的、一面的な思想家のようです、ブレグマンは。
 結局、創造性や適応力を要求しているようにも思えますし、芸術家や歴史家、哲学思想家ばかり増えるのも、いかがなものかと。

最後に、何が真に価値あるものであるかを決めるのは、市場やテクノロジーではなく、社会である。
今世紀のうちに全ての人がより豊かになることを望むなら、すべての仕事に意味があるという信条をすてるべきだ。
合わせて、給料が高ければその仕事の社会的価値も高いという考えを捨てようではないか。
そうすれば、わたしたちは、価値の創造という意味では、銀行員になることが必ずしも良い選択ではないと悟るだろう。


結局、最後も、「銀行員」を引き合いに出したことが良い選択ではなかったことを含め、「社会」という抽象的で、具体性を欠くところに価値を求めようという、まさに哲学思想家的、社会主義的発想に帰着してしまいました。
私は、残念ながら、こういう歴史家にあまり価値を見いだせません。

第8章の構成は、以下のとおりです。

第8章 AIとの競争には勝てない
 1)ロボットの開発と進出が進めば、残された道は一つ
 2)世界を縮小させたチップと箱
 3)「資本対労働の比率は不変」ではなかった
 4)アメリカでは貧富の差は古代ローマ時代より大きい
 5)生産性は過去最高、雇用は減少というパラドックス
 6)コンピュータに仕事が奪われる事例の先駆け
 7)2045年、コンピュータは全人類の脳の総計より10億倍賢くなる
 8)労働搾取工場でさえオートメーション化される
 9)ヨークシャー・ラッダイトの蜂起
 10) ラッダイト が抱いた懸念は、未来への予言だった?
 11)第二次機械化時代の救済策はあるのだろうか?
 12)金銭、時間、課税、そしてロボットの再分配

産業革命時代、織物工は蒸気機関に仕事を奪われた。
そして今、AIとロボットが「中流」と呼ばれる人々の仕事を奪う。
その結果、富の不均衡は極大化する。
今こそ、時間と富の再分配、労働時間短縮とベーシックインカムが必要だ


 この序文から始まる第8章 AIとの競争には勝てない 」 を、前章と同様に少しアレンジして紹介と評価を行うことにしましょう。

 
 ケインズは、豊饒な社会においては、週15時間の労働で十分と言ったが、実現しなかった。
 でもAI社会は、決してそんなことはなく、労働時間の短縮どころか、人々から仕事をうばってしまうことになる。
 決しておとぎ話ではなく、脅し文句でもなく。
 そんな、似ているような、否、似ても似つかぬ怖い時代がやってくるんだと、真面目にブレグマンは語ります。



 ブレグマンはもとより、AIは、エッセンシャル・ワークの多くのものを代替することはできないことを、AI社会到来をBI導入の根拠とするBI論者は自信満々に語ります。

 そこまでAIの実力・能力に自信があるならば、人類愛を携えたAIを開発することはできないのでしょうか。
 あるいは、教師に代わって、人類愛をもって、ブレグマンが理想とする教育を行ってくれるソフトウェア、AIを、AI自らが開発できないのでしょうか。
 ブレグマンが主張した、芸術家・歴史家・哲学思想家は、BIが実現すれば、AI教育をもって誕生させ、育成することさえ可能になるはず。
 教育格差が、貧富の格差を拡大したことは、ある意味では紛れもなく当たっている。
 では、そういう格差をもたらさないような教育プログラムをAIが開発し、人に成り代わって教育実務を担う。
 これこそ人間愛あふれるAIが、シンギュラリティ到達によって誕生する、などという話はAI主義BI論者の口からは出てこない。
 そこに夢を託す話を聞くこともありません、少なくとも今のところは。

 要するに、AIは全能全知の神ではなく、人を上回る存在でもありません。
 絶対神が、虚構・寓話であるのと同様に。
 しかし、神よりも、人間の希望に従って仕事はしてくれるという(多少の)信頼性はあります。
(データ主義であること、そのデータの信頼性からの疑心・疑念は想定しておくべきですが。)


 しかし私は、そう悲観していません。
 AIに愛を求めることはできなくても、愛をしっかりと持ち、生きる人、生活する多くの人が存在する。
(すべてとは言っていませんし、言えるわけがありません。)
 また人口減少社会が想定され、すでにその道を歩んでいる日本社会は、一部の仕事がAIで代替されていくことは喜ぶべきことと考えてよいでしょう。
 それと並行して、エッセンシャル・ワークの必要性や価値が見直されるでしょうし、ベーシック・ペンションの実現(があればそれ)に伴って、当サイトが提案しているように様々な社会保障制度や社会システムが改善・改革されるのです。

 残念ながら、ブレグマンが主張するレベルのベーシックインカムには、そのシナリオがありません。
 彼が望む歴史家・思想家その他の研究者に、事細かにそうした関連する制度・政策の改革シナリオを提示する人もなかなか見ることができていないのです。

 そしてブレグマンは、<第二次機械化時代の救済策はあるのだろうか?>という問いかけをし、<金銭、時間、課税、そしてロボットの再分配>が必要であるとして、こう結んで本章を終えます。

 歴史の流れを決めるのは、テクノロジーそのものではない。
 結局、人間の運命を決めるのは、わたしたち人間なのだ。

これもどうなのかな~、と思わされる言い回しです。
こう続きます。

 (選択肢の一つは)今世紀のどこかの時点で、生きていくには働かなければならないというドグマを捨てることだ。
 社会が豊かになればなるほど、労働市場における富の分配はうまくいかなくなる。
 テクノロジーの恩恵を手放したくないのであれば、残る選択肢はただ一つ、再分配である。
 それも、大規模な再分配だ。
 金銭(ベーシックインカム)、時間(労働時間の短縮)、課税(労働に対してではなく、資本に対して)を再分配し、もちろん、ロボットも再分配する。

 結局、コミュニズムか、と感じさせる内容に。
 それしかないのは、創造性に欠けるというべきものです。
 労働時間の短縮といっても、働くことが趣味で、自営で時間を気にせずに働く生き方もあるわけで、この場合は被用者としての労働概念しかない社会を前提としてのこと。
 働き方も多様なわけで、ロボットを再分配されてもしょうがない。
(まあ、例えての話であることはいうまでもないですね。)

 ありふれた選択肢 ー さらなる教育、規制、緊縮財政 ーはどれも、バケツの一滴の水にしかならない。
 結局、唯一の解決策は、世界中で財産に累進税を課すことだとピケティは言うが、それが「便利なユートピア(実現不可能なアイディア)」に過ぎないことを彼は認めている。
 しかし、それでも未来は決まっているわけではない。
 歴史の根底にはつねに平等に向かう流れがあった。
 全体の発展(コモン・プログレス)を保証する法律が存在しないとしても、わたしたちがそれを立法化することを止めるものはない。
 実のところ、そのような法律がなければ、やがて自由市場そのものが危うくなるだろう。
「資本主義を資本主義者から守らなければならない」とピケティは断定する。


おお~っと、ここでピケティの登場、ピケティの助けを借りにきました。
そして、このパラドックスを見事に説明する、1960年代の逸話がある。
と言って、ヘンリー・フォードの孫と、労組リーダーとの会話を最後に持ち出して終わりとしています。
本来、その逸話とやらを紹介すべきですが、とてもとても、この期に及んで、そのレベル、過去の話かよ、この本で何度も言ってきたような、笑うに笑えない、感動など呼ぶべくもないくだらないもの。
すなわち、締めの記述にまったくもって相応しくないので、カットさせて頂きます。

 


 さて、なんとか辛抱強く取り組んできた「隷属なき道」を探す道。
 残すは、「第9章 国境を開くことで富は増大する」「 第10章 真実を見抜く一人の声が、集団の幻想を覚ます 」「 終章 「負け犬の社会主義者」が忘れていること 」 の3つの章となりました。
 次回は、第9章と第10章を取り上げ、最後に終章紹介と総括としたいと思います。

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