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リトガー・ブレグマン著『隷属なき道』を読み解く:8記事統合による全体像と核心|旧サイト記事集約移管シリーズ-2


前序章を受けて、ここから10の章と終章からなる本章に入ります。

 その第1章の構成は次のとおりです。

第1章 過去最大の繁栄の中、最大の不幸に苦しむのはなぜか?
   ・50年前の平均的オランダ人よりも豊かに暮らすホームレス
   ・中世の理想郷「コケイン」に住む私たち
   ・60億人が携帯を持ち、平均寿命は100年前の倍以上
   ・希望なき豊饒の地
   ・厳格なルールに基づくユートピア
   ・正しい問いを投げかけるユートピア
   ・似たりよったりの政党、違いは所得税率だけ
   ・自由を謳歌する市場と商業
   ・うつ病は10代の若者における最大の健康問題
   ・資本主義だけでは豊饒の地を維持できない
   ・想像と希望を生む21世紀のユートピアを 


先述の構成を見ると、ユートピア・理想郷という用語が頻出し、豊かさ・豊饒がそれに続く第1章。

前回の序で、私は、本書を寓話を読んでいるよう、と書きました。

寓話をどのように繋いで、現実のストーリーに近づけるか、実現可能なストーリーを紡ぐか。
べーシックインカムを論じる書によくありがちなのが、ユートピア論としてのものか、財源に関する論述がないか、関連するはずの種々の社会保障・福祉制度などをどうするのかを省いた無責任のもの。

ユートピア論はユートピアを描くものだから具体策が論述されていなくても責任はない。
それはそうと思わなくもないですが、そこでは必ず、いくつもの実際にあった(であろう)話が、ユートピアを描く裏付けであるかのように扱っていることが多いのです。
それらが現在制度・法律として存在し、機能していれば、ユートピアは不要なわけでもあります。

完全ベーシックインカムではなく、極小・部分ベーシックインカムかベーシックインカム的実験の事例紹介の提示にとどまるそれらの多くに、合理性・合目的性・実現可能性が果たして存在するのか。
法律に仕上げる、あるいは、そのための政治・行政プロセスをデザインできるか、活動レベルに持ち込めるか。
それが不可能ならば、歴史家・思想家・哲学者の飯の種程度のことで終わる。
私のへそ曲がり部分がそう言っています。

日本型ベーシックインカム実現に思想家、哲学者、歴史家、学者は要らない。必要なのは(2020/10/19)

 
 「本書は未来を予測するものでなく、未来への扉を開けること、そのための心の窓を開くことをめざす。

こうあります。
ベーシックインカムを実現すべき。
そう思い、そう願う多くの人々の心の窓はすでに開かれています。
窓は開いているが、現実としてのベーシックインカム社会は、未だ眼の前に存在していない。
ではそれが可能になる未来は、いつなのか、どうすればそこに到達できるのか。

寓話・小咄を繰り返し、そのために時間を費やすことを繰り返しているだけでは、世代が引き継がれ、またユートピアのバージョンアップを継続していくに過ぎないでしょう。
まあ、それが人間と人間社会の限界と言えなくもないですが。
AIがそれを乗り越えてくれ、ベーシックインカムを人間に成り代わって実現してくれればよいのですが。

50年前の平均のオランダ人と現在のホームレスとの比較にどのような意味があるのか。
比較対照することにどれほどの意味があるか、通貨換算して価値を比較することにも。
中世の理想郷「コケイン」を持ち出し、それと比べれば現代はユートピアそのもの、と語ることにどんな意義があるか。

ユートピアを描く歴史と回数が増えれば増えるほど、より現実に近づく。
そういう実感はあるのか。
むしろ、描き方によっては、より遠く、どんどん遠ざかるかのように感じさせてしまうかもしれない。
それは、現実論をしっかり描ききれない、現代人の知恵と能力、見識の限界なのかもしれない。
なぜならば既に、いつも未来への扉も開かれているのだから。
明日の来ない今日はないのだから。

 
50年前の平均的オランダ人よりも豊かに暮らすホームレスを引き合いに出し、 60億人が携帯を持ち、平均寿命は100年前の倍以上となっている現代が、絶対的な豊かさをもつ時代と言えるのか。
その平均寿命の伸びは、すべてに幸福をもたらしたと評価すべきか、多少の疑問はあります。
ムリな延命や、不要なほどの医学・薬学の進歩・開発へに疑問を持つのと同次元で。

なにより、時代背景や社会状態が全く異なる時代を比較して、豊かさや貧しさを比較することの基準の曖昧性、非合理性を感じざるを得ません。
通貨のレートを換算調整して比較することもどれほどの意味があることか。
先行した世代・時代が夢想したユートピアは、その時代の社会を前提としての夢であり、テクノロジーや社会システムの変化・進化の予測は、個別にはありえても、社会総体としては困難であり、無理があったはずです。
グレグマンは、これまでのさまざまな予測の的確さ、実現性を高く評価していますが、その速さは、ベーシックインカム実現のスピードとはまったくといってよいほど直結していません。
また多くの、多様な矛盾や社会問題の多様化と拡大には寄与していますが、それらの改善・解決への貢献には寄与していないことを、ベーシックインカムの必要性が一層語られていること自体が示しているのです。

総量・総体としての豊饒は、一方で、富・豊かさの偏在や格差の拡大、そして若者のうつ病を含む多くの人々の精神的疾患や将来への不安も増幅させています。


グレグマンは、ユートピアには2つのタイプがあるといい、それは
1.詳細な計画に基づくユートピア
2.ぼんやりとした輪郭の、道標としてのユートピア

前者は、失敗した社会主義国家・共産主義国家作りをイメージしてのことでしょうか。
しかし、後者は、後者であり続ける限り、具体化の道筋に乗ることなく、輪郭のないぼんやりユートピアのまま。
それでは、添えている「進歩とはユートピアが次々に形になっていく」というオスカー・ワイルドの言葉のなかの「進歩」はどのように実現、確認できるのでしょう。

そこで、新たな第三の道、第三のタイプのユートピアとして、隷属なき道の、できるだけ具体的方法とプロセスをセットした道標を描いてほしいと思うのです。
 

またこう言っています。

 政治は問題を管理するだけのものになった。政党はどこも似たり寄ったりで、有権者はどこを選べばいいのかと途方にくれてしまう。違いは公約とする所得税率だけ、という有様だ。

確かにそういう国もあるだろうが、明確に国と社会を分断している政党構成の国もある。
あまりにも短絡的で、皮相的で、悲観的な評価だ。
なによりどちらにしても、そういう状態・情勢を招き、維持しているのは、市民・国民でもあるということを理解しておくべき。
いや、本来、その政治のあるべき姿を描くこと、語ることも、ユートピアを語ることの中に多少なりとも、皮肉、アイロニーを込めて解決策・実現策を組み入れるべきではないかと思うのですが、ないものねだりでしょうか。
相当の知識をお持ちなのだから。

こうも言っています。

 資本主義だけでは、現代の豊饒の地を維持することはできない。
 進歩は経済繁栄と同義になったが、21世紀に生きる私たちは、生活の質を上げる別の道を見つけなければならない。 

資本主義が一方で豊饒を生みながら、膨大な格差をもたらしていることを考えれば、それに代わるもの、あるいは望ましい資本主義に変えるために必要なものはなにかを示すべきではないかとシンプルに思うのですが。
2章以降でそれを見ることができるのか、楽しみにしたいとは思います。


いずれにしても、ここまで述べたような疑問や問題意識に、グルグマンは、第2章以降で応えてくれるかどうか。
幸い、グレグマンはこういっています。

 政治に無関心なテクノクラシー(技術家主義)の時代に育った西側諸国の若者が大人になろうとしている今、新たなユートピアを見つけるために、政治をこの手に取り戻す必要がある。


政治イシューにベーシックインカムを明確に位置づけるべく、活動の在り方を変えるべき、という私の認識と少しは重なる部分です。

何やら悲観的な考察で始めたこのシリーズですが、決して、同じ道は辿らないようにしたい、すべきという思いを伝え、具体策を考察する作業を重ねていくためのシリーズと位置付けています。

そういう点では、この章の最後にある「想像と希望を生み出す21世紀」でありたいと思います。
けっしてユートピアとしてのそれではなく、現実化可能なシナリオ案としての。

次章は、<第2章 福祉はいらない、直接お金を与えればいい>から、ベーシックインカムについて考えます。

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