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専門書・専門家シリーズ記事

ガイ・スタンディング著『ベーシックインカムへの道』を読み解く|13記事統合による全体像と核心:旧サイト記事集約移管シリーズ-1


今回は第4回。
第3章 ベーシックインカムと自由」を取り上げます。

第3章 ベーシックインカムと自由
 ・リバタリアンの視点
 ・リバタリアン・パターナリズムの危険性
 ・共和主義的自由
 ・社会政策が満たすべき原則
    パターナリズム・テストの原則/「慈善ではなく権利」の原則   
 ・権利を持つ権利
 ・人を解放するという価値
 ・発言力の必要性

上記の構成からなる本章の初めに、以下の記述があります。

ベーシックインカム(BI)は、自由主義の理念に基づいて自由を確保するうえで欠かせない基礎的経済権と位置づけることができる。
それが約束する自由の上に、ほかのさまざまな(言論・思想・信教・結社等)の自由が成り立つと考えられている。
しかし、リバタリアンと共和主義者では、BIと自由の関係について異なる考えを持っている。

すなわち、本章は、自由主義リバタリアンの考える自由及びBI、共和主義者の考える自由及びBIを主たるテーマとしており、以下、その構成を整理して概括し、若干思うところを述べていくことにします。

まず初めに、先述の、右派・左派両リベタリアンを一つにしての考え方が以下のように提示されます。

「小さな政府」を主張するリバタリアン(自由市場主義者)。
その理由は、「国家(政府)は個人の自由を侵害する、制約する」という基礎認識に基づいている。
とすると、多くのリバタリアンが政府支給のBIを支持することに一見矛盾を感じるが、それは次善の策としてであり、政府に一切の社会政策から手を引かせるため、という理屈からのことだ。
(右派:ロバート・ノージック、チャールズ・マレー。左派:フィリップ・ヴァン・パリース、カール・ワイダークラスト)
以降繰り返される、BIこれと類似した論述の多くを省略し、目についた要点のみ抽出します。

・福祉国家は自壊に向かう性質がある。(マレー)
・BIと引き換えに既存の福祉制度をすべて解体できれば、理想的な制度。
・2016年ソウル開催BIEN第16回世界会議で「BI導入により福祉国家を危機に追いやるべきではない」という決議採択
・BIは、ある種の弱者の自由を守ることを意図しているが、それを果たせるだけの規模のBIを導入すれば、増税によりほかの人たちの自由を損ないかねない。ここには、自由と自由の間にトレードオフの関係がある。(ズウォリンスキー)

しかし、こうしたリバタリアンは道徳主義的は保守派と大差なく、自由を推進するというより、パターナリスティック(父権的干渉主義)な介入を好む性向もあると。
それは、行動経済学やナッジ理論、遡って、ベンサムの功利主義政治思想をも土台にした(リバタリアン・パターナリズムにより、政府が人々に「正しい選択」を促すという大きな役割をもつことを正当化する論者の台頭と影響力の拡大をもたらしているとします。
そこでは、人々の行動に国家が介入することが可能になることを意味。
その傾向は、グローバリゼーション時代の主流の政策思考となり、自由主義者、社会民主主義者、保守主義者も包含してその考え方を採用していることに、以下の発言を添えてガイ氏は警鐘を鳴らすのです。

あらゆるリバタリアン思想の土台には、乱暴な弱肉強食主義の考え方があり、その点は、リバタリアン・パターナリズムも克服できていない。
しかし、大半の人は、人生のどこかの段階で「弱者」になる。リバタリアンたちがBIに魅力を感じる理由はどうであれ、連帯の精神に基づく社会サービスを廃止する口実としてBIを利用することは正当化できない。

問題多きリバタリアン思想に反対する望ましい思想が「共和主義」である。
リバタリアンの「干渉されない自由」に対して、「支配されないこと(自由)」を意味するのが共和主義。
前者は政府の活動すべてを自由の侵害とみなすのに対し、後者は、政府を必要とし、政府に依存する。
それは、有権者に対して民主的に責任をもち、「完全な自由」を追求する政府でなくてはならない、と。
先に私が批判的にみた言葉「完全な自由」が出てきました。
ガイ氏はこう言います。

ここで言う「完全な自由」とは、社会で最も弱い人たちが支配を受けずにすむ状態のことであり、強者が自由を行使することにより、弱者の自由の行使が妨げられないようにすることも政府に求められる。

これをもってして「完全」というのか、非常に疑問が残ります。
先に、ガイ氏は、「大半の人は、人生のどこかの段階で「弱者」になる。」と言いましたが、その「弱者」すべてを「社会で最も弱い人たち」と一括りにしてのことか、少々矛盾を感じるのですが。
まあ、言葉の綾みたいなもので、こういう議論をするのが目的ではありません。
要するに、共和主義的自由とは、なにを意味するのか。
唐突に持ち出した「結社の自由」についての記述は省略し、結論的な部分を紹介します。

自由についてどのような考え方を信奉するにせよ、BIはその自由を強化する。
自由主義の考えに立つなら、人々の基礎的ニーズを満たせる水準のBIを導入すればそれだけで必要十分となる。
対して、共和主義では、BIは必要だが十分ではなく、自由の促進のために、その他の制度や政策も必要とされる。

そして、例示されているのが、以下のような「○○の自由」リストです。

1)困難だったり、退屈だったり、薄給だったり、不快だったりする仕事に就かない自由
2)経済的に困窮している状況では選べないような仕事に就く自由
3)賃金が減ったり、不安定化したりしても、いまの仕事を続ける自由
4)ハイリスク・ハイリターンの小規模なベンチャー事業を始める自由
5)経済的事情で長時間の有給労働をせざるをえない場合には難しい。家族や友人のためのケアワークやコミュニティのボランティア活動に携わる自由
6)創造的な活動や仕事に取り組む自由
7)新しいスキルや技能を学ぶことに時間を費やすというリスクを負う自由
8)官僚機構から干渉、監視、強制されない自由
9)経済的な安全を欠く相手と交際し、その人と「家庭」を築く自由
10)愛情を感じられなくなったり、虐待されたりする相手との関係を終わらせる自由
11)子どもを持つ自由
12)ときどき怠惰に過ごす自由

こうした多種多様な自由は、BI以外の社会政策により確保・実現できるかどうか、疑問を投げかけるとともに、社会的保護のための政策は、少なくとも個人の行動の自由に関して中立的であるべき、ともしています。

際限のない「自由」論であり、完全な自由は、見通すことも、すべて体系化することも簡単なことではなく、そのために必要な費用・財源についての議論は先送りにしています。
要するに、このリストを見れば、それぞれの項目ごとの領域を整理し体系化すれば、その個別の体系毎にBI導入の必要性・不可欠性が展開されることは明らかです。
事実、第4章以降がそれに当ります。

次に、やや唐突な感じがする<パターナリズム・テストの原則>と<「慈善ではなく権利」の原則>が、BIのみならず社会政策全般に必要と言います。
前者は、「一部の集団に、その社会で最も自由な集団には課せられていないコントロールを課す不公正の否定」。それが「パターナリズム・テストの原則」。
後者は、「社会政策が公正と言えるためには、給付する側の権力や裁量ではなく、受給者や対象者の権利と自由を拡大するものであるべき」。それが、「慈善ではなく権利」の原則。
整理してみて、やはり唐突です。

もう一つ、唐突とは言いませんが、問題提起の仕方としてはやや回りくどいというか、あまり的確ではないというべきか、「権利を持つ権利は誰にあるのか?」で始まるこの項。
ここでの課題は、後述する本稿のまとめにも当たる「ベーシック・ペンションにおける「自由」」において述べた、ベーシック・ペンションの導入目的・意義と同列のものです。
ガイ氏のここでの表現によると、BIの請求権の問題であり、「誰がBIの受給権を持つべきか?」。
しかし、その展開は、BIの給付を受けることができる人の規定化に進み、やはり唐突な議論の押し込められてしまうのです。
好ましい展開内容ではないので、この程度で省略し、肝心の点と考える総括部分は、後ほど確認頂ければと思います。

話が変わり、ここでは、2010~13年、ガイ氏が関与したインド中部マディヤ・プラデシュ州でのBIの大規模試験プロジェクト(9の村の住民6,000人全員に少額のBIを配付)の事例報告が行われます。
ポイントのみ要約します。

・BIを受給した人たちは、そうでない人たちより債務を減らすケースが多かった。
・まだ債務が残っている場合でも貯蓄をする人が多かった。
・現金を手にした人たちは、より戦略的な意思決定も可能になり、以前より低い金利で金を借り、必要な農具や種子、肥料などを買う人たちも現れた。
・「債務奴隷」だった人たちが自分や家族、友人のBIを少しずつ集めて、自由を買えるようになった。
・ある種の文化的支配を突き崩し、女性たちを勇気づけ、ベールを脱ぐなど文化的権利を強化することに寄与した。
こうして、人を解放する力をBIが与え、育まれたことを強調しているのです。

BIは真の自由の実現を後押しできるが、共和主義的自由、完全な自由を確保するためには、人々が自己決定できなくてはならない。
人々が自己決定の力を持つ上では、個人レベルと集団レベルで発言力を持てるようにする制度や仕組みが不可欠であり、人が厳しい状況にあるとき、困窮状態にあるときには、とくに重要である。
つまり、BIさえあれば完全な自由を実現できるわけではないが、BIなしに完全な自由を実現できないことを忘れてはならない。


以上は、本章最後の項は、上記のガイ氏の主張です。
このまとめに先立って、BIは民主主義を進展させる手立てとしての側面を持つとしています。
民主主義の何たるかについては、「民主主義を唱えた初期の論者たちが、「すべての人が自由、平等、独立を享受できるようになることを民主化と考えていた」とします。
そして、ジョン・ロック提唱の「自然的自由」の考えにも基づき「人が自由であると言えるためには、他人に害を及ぼしさえしなければ、誰かの同意を得たり、報復を恐れたりすることなく行動できる必要がある。」と「自由」の前提として「独立」の必要性を並立的に主張しています。
そこで「独立」実現のためには、「最低限の生活を送る権利を持っていなければならない」と、BIとの相互連関を提示。
それを受けての、上記結語となったわけです。
私の考えでは、リバタリアンや共和主義云々の前に民主主義とBIの関係とそこでの自由実現について考察し、論じることが望ましいと思うのです。
ただ、ガイ氏がなぜかここで持ち出した民主主義に関しては、むしろ「第12章 政治的課題と実現への道」において、BIと民主主義との相関として確認すれば良いのではと考えます。

「完全な自由」などという言葉を軽々しく使って頂きたくないなあ、というのが率直な思いです。
基本的には、上記の展開の中でガイ氏が例示したように、「○○の自由」という可能な限りの具体的な領域や事項に関する自由と限定・明示して用いるべきでしょう。
とはいうものの、当サイト及び私がベーシック・ペンション導入の目的の中に「自由」の確保・実現を含んでいるのも事実です。
ただ私は、その自由は、憲法に規定し保障する概念として用いています。
これまでの主張・展開の中で、以下の記事で触れています。
(参考)
⇒ 憲法第三章基本的人権と自由・平等に基づき支給されるベーシック・ペンション(2021/2/21)
⇒ 憲法の基本的人権に基づくベーシック・ペンション:BP法の意義・背景を法前文から読む-1(2021/6/12)

従い、リベタリアンや共和主義といった政治的思想に依拠するものではなく、ガイ氏による本章の設定と展開には馴染みませんし、同次元で比較する必要もないと考えています。

そして、前回課題の<社会正義>という概念や次元での議論・検討が、日本には(私には?)馴染まないとしたように、今回の「自由」を巡る議論を、リバタリアンと共和主義者のそれぞれの自由概念の比較をもとにして行なうことも、同様馴染まないのでは、と考えるのです。
どうでしょうか?
精々で、「保守」と「リベラル」「革新」という区分での議論になるのでしょうが、現在、リベラルも「リベラル保守」などという訳もわからない言い方を用いている人もいるなど、真面目に政治思想の区分で自由そしてBIを論じることが不毛であるような気がしています。
また、「共和主義(者)」という用語も、日本における政治思想や政党等を考える上では、身についていない、明確な理念やイメージを想像・想定できないという面があることを否定できません。
すなわち、教科書として本書を評価し、位置づけてはいますが、欧米のBI論の領域に限定してのものという但書は、より強く表示する必要があると再確認することになりました。
まあいろいろ考えること、発言することは自由ですが、現状、BIをしっかり体系的に主張・提案するリベラルも保守も存在しないため、ガイ氏による自由保障のためのBI論は、今後展開する第4章以降の各テーマを「その○○自由」の実現と解釈して受け止め、考えていけばよいと思うのです。

次章は、「第4章 貧困、不平等、不安定の緩和」を取り上げます。

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