ベーシックアセットとは何か|宮本太郎のBI論を徹底整理と批判的考察
ベーシックアセット提案の宮本太郎氏のベーシックインカム論|旧サイト記事集約移管シリーズ8
本稿は、宮本太郎著『貧困・介護・育児の政治 ベーシックアセットの福祉国家へ』:2021年にhttps://basicpention.jp で掲載した4回リーズの記事を一つにまとめたものです。
*当サイト「シン・ベーシックインカム2050」では、旧Webサイト「ベーシック・ペンション」(https://basicpension.jp)で公開していた記事を、アーカイブとして順次統合・移管しています。
*本記事は、宮本太郎著『貧困・介護・育児の政治 ベーシックアセットの福祉国家へ』をもとにした全4回のシリーズを再構成した統合版です。
旧記事については、内容重複を避けるため、順次整理(非公開化・リダイレクト等)を行います。
ベーシックアセット提案の宮本太郎氏のベーシックインカム論-1(2021/8/20)
2021年8月8日、朝日新聞GLOBE+で、宮本太郎中央大学教授へのインタビュー記事
【宮本太郎】行き詰まった社会保障、でもすべてベーシックインカム頼み、は危うい :朝日新聞GLOBE+ (asahi.com) が公開されました。
今年4月に同氏著 『貧困・介護・育児の政治 ベーシックアセットの福祉国家へ (朝日選書)』(2021/4/9刊)が発刊されており、同書に結び付けてのインタビューと思われます。
近々同書を入手して、内容を確認して当サイトで取り上げたいと考えています。
今回は、その序論として、このインタビュー内容を要約し、感じたこと、思い浮かんだことを書き留めることにします。
「行き詰まった社会保障、でもすべてベーシックインカム頼みは危うい」というタイトルから
1)現状の社会保障制度に問題があること
2)しかし、ベーシックインカムが、社会保障制度全般に有効に機能するわけではないこと
3)従い、ベーシックインカムだけに社会保障制度に関する問題解決を頼ることは無理があること
が論じられていると想像できます。
こうした広範な課題について、このインタビューで網羅できるはずはありませんが、紹介した同書を対象とした取り組みでしっかり論じることとして、以下、要約を紹介しつつ同氏の着眼点を見ていくことにします。

BIを求める声が広がる理由
すべての人に所得を問わず無条件で定期的にお金を配るベーシックインカム(BI)。
この多額の財源が必要になる現金給付を求める声が世界中で広がっているが、それはどんな理由からか。
もはや、働いても生活していけない時代になってしまったから。
分配のルールが20世紀とは大きく変わってしまい、世界で最も裕福な8人の資産は下層36億人の資産総額と同じと言われるほど、グローバルIT企業のオーナーなどに富が集中しており、例えば、EU諸国でも1割近くがワーキングプア。
最も裕福な8人の大富豪のうち何人かまでBIを主張している。
大富豪にとっては、AIが台頭して人を雇う必要がなくなっていく未来ではみんな買い物をするお金もなくなってしまうので、政府がそのお金ぐらい出してくれよ、みたいな話にも聞こえる。
36億人にとっては生きていくための手段です。
これまで安定した雇用が行き渡ることを前提に考えられていた制度の条件が根底からひっくりかえってしまったことが根本にあります。
まあ、これもBI論者の多くの人々が紹介する内容ですね。
しかし、当サイトが提起・提案する日本独自のベーシックインカム、ベーシック・ペンション生活基礎年金は、それはあくまでも一つの要素・要因であり、他に多様多種の問題を理由・背景としています。

なぜBIなのか、2つの背景
その背景として、以下の2面が考えられる。
1.これまでの社会保障の機能不全
社会保障の制度は本当にややこしく、特に日本では政府が「由らしむべし、知らしむべからず」でやってきて、迷宮のような制度になっている。
これまでの社会保障とは違ったやり方で、非常にわかりやすく、低所得層のみならず富裕層も乗ってくるような施策として、BIが浮上してくるのは当然の成り行きと言える。
政治がポピュリズム化を強めていることも関係している。
2.これまでの社会保障改革の失敗
英国ではサッチャー政権、米国ではレーガン政権ができ、新自由主義が広がった1980年代にも格差拡大が問題に。
新自由主義は福祉を「弱者への支援ばかりして甘やかしすぎだ」と批判し、中間層は「自分たちの税金が怠け者のために使われている」と思わされ、不満を募らせることになった。
こうした批判を意識して、英国の労働党など社会民主主義者は「福祉から就労へ」と、働く支援を強調するようになった。
これが結果的に、就労の押しつけのようになり、その政策が新自由主義と変わらなくなってしまった。
すると、「やっぱりBIしかない」となってくる。
だからBIかい?
そう短絡的、直線的に話を進めるのもどうかと思うのですが・・・。
本来・本筋では、社会保障・福祉制度全体を、総合的・体系的に改革すべきなのでしょう。
そのための同氏の同書発刊ではないのでしょうか。
なお「福祉から就労へ」という考え方への当サイトでの反論記事として、以下を投稿済みです。
チェック頂ければと思います。
◆ イギリス救貧法の歴史・背景、概要とベーシックインカム:貧困対策としてのベーシックインカムを考えるヒントとして(2021/1/26)
◆ 福祉国家論とベーシックインカム:福祉国家から基本的人権社会保障国家へ (2021/2/27)
◆ ウェルフェアでもなく、ワークフェアでもなく、ヒューマンフェアとしてのベーシック・ペンション (2021/3/14)
現状の社会保障の問題点
基本的に社会保険と公的扶助(福祉)の2本柱で成り立ってきた第2次大戦後の各国の社会保障制度は、安定して働けている人が一定以上いるということが前提だった。
が、グローバル経済のもとで安定雇用が収縮し、働いても生活が成り立たないワーキングプアの人たちが増え、社会保障がこれまで通りの形では維持できなくなっている。
即ち、安定雇用を前提にした社会保険と、働けない人たちの福祉の両極の間にゾーンが空き、非正規雇用・ひとり親世帯・障害を持つ人・ひきこもりの人たち等が、どちらからの支援も受けられないまま、はまり込んでしまっている。
日本ではこの2極化が極端に進み、非正規雇用で社会保険に入れず、他方で絞り込まれた福祉給付も受けられないような「新しい生活困難層」が急増し、まさに、旧来型の生活保障の限界が明らかになっている状況にある。
特に、男性の安定雇用に依存して、社会保険や会社の賃金・福利厚生に頼る度合いが非常に高かった。
また、多くの税金を社会保険の財源に投入したことで、皆保険皆年金が実現したのは1961年と非常に早く、これにより社会保障・社会保険制度を維持してきた。
しかし、この仕組みは社会保険に未加入であれば税金の恩恵に預かれず、一方、生活保護など、純粋に税金だけで動かしていく給付を相当絞り込んでしまったことに、その問題が表れている。
まあ、この分析も、大雑把といえば大雑把。
後理屈といえば後理屈。
そういう側面もあるよね、というレベルで理解すればよいのでは、と思います。
肝心なのは、では、現状をどうするか、です。
分析はそこそこに、対策、実行可能な対策、あるいは実行可能にするための準備段階での方法・方策の提案・提言に期待するのです。

働く人たちの制度と福祉の制度の2極構造を改め、双方をつなぎ合わせ、クロスさせていく
長時間労働でストレスまみれの働き方を見直しつつ職場の敷居を低くして、もっと多様な人たちが働ける条件をつくっていく。
他方で、一部だけに選別給付されていた福祉も対象を広げていく。
例えば、事情で短時間しか働けなくても、福祉給付と組み合わせて生活できることが必要です。
小見出しは、インタビュー記事から引用して設定したものであり、その説明・事例は、上記の記述にとどまります。
詳しくは、同書を見れば分かるということでしょうか。
BIの主要な問題点
BIの主な問題点を整理すると、以下になる。
1)給付水準をどう設定するか
2)財源となる税の累進性をどうするか
3)既存の社会保障をどこまでBIに置き換えるのか
その方法・内容により、BIの中身は全く変わってくる。
生活保護や年金などを全部やめてBIに一本化するのか、できるだけ既存の制度を残そうとするのか。
同じBIと言っても、新自由主義的なBIもあれば社会民主主義的なBIもある。
BIは「お金だけ配る最小国家」を目指すリバタリアニズム(自由至上主義)の制度とも言われるが、国のさじ加減で生活が根本から左右されてしまう、究極のパターナリズム(家父長主義)という面がありはしないか。
生活保護も失業手当も年金も、全部BIに一本化された上で、国の決定で引き下げられたらたいへんで、そこまで国家を信用できるかという問題がある。
まあ、これも実は一つの見方による仮定の話で、もちろん、そんな単純にBI問題が集約されるわけではないことは明らかです。
そうではないBIをいかに創造・創出するか、です。
自立というのは「依存先」がたくさんあることをも意味し、働ける人は自分で稼げ、逆に会社を辞めたり家族のケアで仕事を減らしたりしても福祉の給付が使え、相談できるNPOもあること等が自立の基盤。
こうして一人ひとりが人生の主導権を握ることができる。
すべてBI頼みになってしまったら、お上次第で運命が決まってしまう、ということになりかねない。
さらに重要なことは、望む人はみなコミュニティー(社会)に参加でき、認められる機会を得て、自己肯定感を高めることができること。
が、BIだけでは人とのつながりは確保できません。
BIの導入により、公共サービスの財源が圧迫されるなどということになれば本末転倒。
例えば、認知症の単身高齢者はそれを使うことができないまま孤立していくことになりかねない。
BI論者が欠落しがちな心配なことを提示しているのですが、BIをめぐる関係する諸制度に目配りし、必要な改定・改革を行えば良いのです。
子どもに言って聞かせるような心配事を取り上げるだけではなく、では一体どうすれば良いのか、問題提起者はそれを示すべきです。

現金給付と併せて個々の事情に応じて様々なサービスを組み合わせが可能な、「ベーシックアセット福祉国家」に
一人ひとりが抱えている生きづらさは千差万別。
現金給付を行う場合、必要な人に給付対象を絞るターゲット化そのものを否定するべきではない。
貧困状態にあるとみなされる約250万人の17歳以下の子どもに現金を給付することは、BI以上に説得力がある。
ただ、客観的で透明度の高いターゲット化の仕組みが未成熟という問題がある。
一方、現金給付と併せてサービスについて、個々の事情に応じて様々なサービスを組み合わせて選択できるようにしていく必要がある。
多様な生きがたさや障害の有無に関わらず、いろいろな形で社会に参加でき、場合によっては仕事を離れることも可能になるというような条件が求められる。
小見出しに「ベーシックアセット福祉国家」に、と付け加えましたが、このインタビュー記事内では、その表現はありません。
宮本氏の近著のタイトルにあるので、当然結論はそこに向けられると思い、引用したわけです。
当インタビュー記事は、以下の宮本氏の言葉で終わっています。
BIは「何を給付するのか」という話ですが、いま重要なのは、「どう配るか」「何を可能にするか」ということです。
BIは、何を給付するのかの問題ではなく、なぜ配るか、どう配るか、何を可能にするのか、どう管理運営されるのか、関連する社会保障・福祉制度、社会保険・労働保険制度などとどう関係し、どのような改定・改革が必要かなど、総合的に検討され、必要なすべての法律改正、行政改革の方法・道筋も具体化する必要があります。
前段で宮本氏が指摘した社会保障制度の多くの、そして重要な課題を放置・放任してのBI論などできるはずがありません。

『貧困・介護・育児の政治 ベーシックアセットの福祉国家へ』の構成と想定されること
では実際に、同氏は近著でどんな提案を行っているのか。
調べてみると、同書の構成は以下のようになっていました。
第1章 「新しい生活困難層」と福祉政治
1.転換点となった年
2.日本型生活保障の構造
3.何が起きているのか?
4.政治対立の構図
5.貧困、介護、育児の政治をどう説明するか?
6.三つの政治の相関
第2章 貧困政治 なぜ制度は対応できないか?
1.生活保障のゆらぎと分断の構図
2.貧困政治の対立軸
3.日本の貧困政治と対立軸の形成
4.「社会保障・税一体改革」と貧困政治
第3章 介護政治 その達成と新たな試練
1.介護保険制度という刷新
2.分権多元型・市場志向型・家族主義型
3.制度の現状をどう評価するか
4.介護保険の形成をめぐる政治
5.介護保険の実施をめぐる政治
第4章 保育政治 待機児童対策を超えて
1.家族問題の三領域
2.家族政策の類型
3.児童手当をめぐる政治
4.保育サービスをめぐる政治
第5章 ベーシックアセットの保障へ
1.福祉政治のパターン
2.社会民主主義の変貌とその行方
3.ベーシックアセット という構想
目次を見る限りでは、同書は、ベーシックインカムを主題としたものではなく、介護制度と育児制度をベーシックアセットの枠組みの中に入れ、貧困問題を含めて、社会保障・福祉制度の望ましいありかたを、総合的というよりも特定の領域に絞って論じているものと推察します。
すなわち、インタビュー記事にあるように、BIは現金給付、その他の社会保障・福祉制度はサービス給付と位置付け、後者の在り方に焦点を当てていると思われます。
ベーシックインカムは、最後の章[第5章ベーシックアセットの保障へ] の<3.ベーシックアセットという構想>の中で、初めて(二つのAI・BI論)(ベーシックインカム派からの反論) という項目で用いられている程度です。
それはそれで致し方ないとして、BIですべての社会保障・福祉制度を網羅、カバーしようなどという考え方は、新自由主義者に限られるもので、その観点から、インタビュー記事内での指摘がなされていることも確認できます。
ということは、同書は、BI論というよりも、主に社会政策上の貧困・介護・保育の関する提案書として読むべきかな、と感じたのですが、果たしてどうでしょう。
また、[第5章ベーシックアセットの保障へ]の<3.ベーシックアセットという構想>の中で、(ベーシックサービスの提起)という項目が入っています。
ここから、当サイト等で過去取り上げて批判した<ベーシックサービス>が、<ベーシックアセット>と繋がっていると想像できます。
できれば、宮本氏が掲げるベーシックアセットが、貧困・介護・保育分野だけで論じられるのではなく、総合的・体系的に示されていることを期待・希望するものです。
実は、ベーシックサービス論も、そのすべての体系と改革案を提示しきれていないと考えるからです。
それでは、ごくごく狭い範囲・視野で持論としてのBI論を提示・展開する多くの学者・個人となんら変わることはなく、相互に批判するに当たらないと考えるのです。
今月中には同書を入手し、読み終えたいと思っていますので、本稿の続編は、来月には投稿できると思います。

(ベーシックサービス関連参考記事)
1.今野晴貴氏「労働の視点から見たベーシックインカム論」への対論(2020/11/3)
2.藤田孝典氏「貧困問題とベーシックインカム」への対論(2020/11/5)
3.竹信三恵子氏「ベーシックインカムはジェンダー平等の切り札か」への対論(2020/11/7)
4.井手英策氏「財政とベーシックインカム」への対論(2020/11/9)
5.森 周子氏「ベーシックインカムと制度・政策」への対論(2020/11/11)
6.志賀信夫氏「ベーシックインカムと自由」への対論(2020/11/13)
7.佐々木隆治氏「ベーシックインカムと資本主義システム」ヘの対論(2020/11/15)
8.井手英策氏「ベーシック・サービスの提唱」への対論:『未来の再建』から(2020/11/17)
9.井手英策氏「未来の再建のためのベーシック・サービス」とは:『未来の再建』より-2(2020/11/18)
10.ベーシックサービスは、ベーシックインカムの後で:『幸福の財政論』的BSへの決別と協働への道筋(2020/11/26)
※上記の関連記事は、httpss//basicpension.jp で2種類のシリーズ記事を形成しており、本稿と同様に、1それぞれ記事に統合して、当サイトに移行する予定です。移行が済みましたら、新しいリンク先に変更します。

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<参考>:『貧困・介護・育児の政治 ベーシックアセットの福祉国家へ』の構成と狙い
この部分は、1記事への統合作業を行う中で、必要と感じたため、追記するものです。
もう一つの(廃止済み)WEBサイトで並行してシリーズ展開を行っていた、以下の社会福祉命題の5記事を、サイト移行・廃止プロセスで間違って削除してしまいました。
◆ 福祉資本主義の3つの政治的対立概念を考える:宮本太郎氏『貧困・介護・育児の政治』序論から(2021/8/30)
◆ 増加・拡大する「新しい生活困難層」:宮本太郎氏『貧困・介護・育児の政治』からー2 (2021/9/2)
◆ 貧困政治での生活保護制度と困窮者自立支援制度の取り扱いに疑問:宮本太郎氏『貧困・介護・育児の政治』からー3(2021/9/7)
◆ 利用者視点での介護保険制度評価が欠落した介護政治論:宮本太郎氏『貧困・介護・育児の政治』からー4 (2021/9/9)
◆ 政治的対立軸を超克した育児・保育政治を:宮本太郎氏『貧困・介護・育児の政治』からー5 (2021/9/11)
本来、それらの5記事と、今回の4記事を統合すべきで、それが可能でしたら、本書の全体的な構成と論理的展開を理解頂けるものでした。
ベーシックアセット論に至る前提として、以下が本書で展開されていました。
従来の社会保障が停滞している、あるいは問題を大きくしていることを、次の三層構造の政治に要因があるとします。
1.貧困政治
2.介護政治
3.保育政治
これらの政治・政策の失敗が、
4.新しい生活困難層
を生み出してきた。
こうした根深い社会福祉課題・政治的課題を根本的に改善・解決する政策及びその概念として
5.ベーシック・アセット
を、ベーシック・インカムやベーシック・サービスに代わって提示し、その実現をめざす。
多少の脚色を加えると、以上が本書そして宮本氏の目的・目標・構想と言えるでしょう。
以上の前提で、「ベーシックアセット」対「ベーシックインカム」の構図と主張を、本稿で対比・確認頂ければと思います。

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ベーシックアセットとは?:ベーシックアセット提案の宮本太郎氏のベーシックインカム論-2(2021/9/4)
今回は、同書のサブタイトルにある「ベーシックアセット」論について具体的に確認することにします。
ベーシックアセットの、ベーシックインカム、ベーシックサービスとの違い
まず簡単に宮本氏は、ベーシックインカム、ベーシックサービス、ベーシックアセットの違いをこう示します。
1)ベーシックインカム:すべての市民に同額の現金給付するもの
2)ベーシックサービス:すべての人々が、その負担応力の如何に依らず、ニーズを満たす上で基本的で十分に受けとることができる公共サービスで、医療、教育、ケア、住宅、輸送、デジタル情報へのアクセスなどを包括する。
3)ベーシックアセット:現金給付、サービス給付にコモンズを加えたもの
コモンズとは何か? それが分からない限り、肝心のベーシックアセットとは一体何なのか・・・。
アセットとは? コモンズというアセットとは? その前にコモンズとは?
まず本書とは切り話して、会計学的な「アセット」の意味は「資産」。
広義には、政府・企業・家計など経済主体に帰属する金銭・土地・建物・証券などの経済的価値の総称とされます。
次に本書におけるアセットとは。
広くは、ひとかたまりの有益な資源という意味であり、現金給付も公共サービスもアセット。
そして、
1)ベーシックインカムは、私的アセットを現金給付で
2)ベーシックサービスは、国と自治体の公共アセットを、サービス給付で
3)ベーシックアセットは、私的・公共的アセットに、コモンズのアセットを加える
とし、こう続けます。
コモンズというアセットとは、
誰のものでもなく、オープンで、多くの人がその存続に関わるが、その分、誰かが占有してしまう場合もあるようなアセットで、コミュニティ、自然環境、デジタルネットワーク等がそれに当たる。
同書との関係で重要なコモンズのアセットは、社会と繋がり続け、承認を得ることができるコミュニティというコモンズであると。
ところで、コモンズとはなにか、です。
不思議なことに(見逃しているのかもしれませんが)、本書の序論で宮本氏はコモンとコモンズについて、定義的にはほとんど説明しておらず、コモンズのアセットとしてコミュニティ、自然環境、デジタルネットワークを挙げているだけです。

そこで、唐突ですが、以前当サイトで取り上げた斉藤幸平氏によるベストセラー 『人新世の「資本論」 』(2020/9/22刊) の <第6章 欠乏の資本主義、潤沢なコミュニズム> の中で、コモンとコモンズについて課題としていましたので、その一部を参考にしたいと思います。
『人新世の「資本論」』におけるコモンとコモンズ
が、残念なことに、その<第6章 欠乏の資本主義、潤沢なコミュニズム> を対象とした以下の記事内で、コモンとコモンズについてあまり触れていませんでした。
◆ 資本主義と左派加速主義批判の後に来る脱成長コミュニズム:『人新世の「資本論」 』が描く気候変動・環境危機と政治と経済-3(2021/4/29)
そこで、同記事にも挿入した同章を構成する小見出し中に2つの用語が組み込まれていたので、以下にピックアップしました。
・コモンズの解体が資本主義を離陸させた
・水力という<コモン>から独占的な化石資本へ
・コモンズは潤沢であった
・「コモンズの悲劇」ではなく「商品の悲劇」
・<コモン>を取り戻すのがコミュニズム
・<コモン>の「<市民>営化」
・ワーカーズ・コープ ー 生産手段を<コモン>に
これらからのイメージを持ちつつ、そこでの文章から一部を借用してみます。
土地は根源的な生産手段であり、それは個人が自由に売買できる私的な所有物ではなく、社会全体で管理するものだったのだ。だから、入会地のような共有地は、イギリスでは「コモンズ」と呼ばれてきた。
(略)囲い込みによって、このコモンズは徹底的に解体され、排他的な私的所有に転換されなければならなかった。
(略)
土地だけではない。資本主義の離陸には、河川というコモンズから人々を引きはがすことも重要であった。(略)
水力は自然に潤沢に存在しており、完璧に持続可能で廉価な動力源だった。共同で管理可能な<コモン>だったのである。
ここでもしっかりした定義は見られないのですが、この内容で、イメージを持つことはできます。
宇沢弘文氏の「社会的共通資本」でイメージするコモンとコモンズ
そこでもう一つ、当サイトで以前取り上げた、宇沢弘文氏の 『社会的共通資本』 の3分類を紹介します。
1.自然環境:大気、水、森林、河川、湖沼、海洋、沿岸湿地帯、土壌など
2.社会的インフラストラクチャー:道路、交通機関、上下水道、電力・ガスなど(社会資本ともいう)
3.制度資本:教育、医療、金融、司法、行政などの制度
どうでしょうか、
<自然環境>と<社会的インフラストラクチャー>。
前者がコモンズ、後者がコモンと捉えることができるかもしれません。
コモンとコモンズはここではこのくらいにしておきましょう。
宮本氏の書の最終章で、ご本人によるコモンとコモンズの説明を期待したいと思います。
しかしただ単純に、複数形のsが付くか付かないかの使い分けなのかもしれません。
そして、コモンズを価値・資産と見ればアセットとみなす。
資産価値、人々にとって有用であるならば、コモンもしくはコモンズ。
その程度の軽い気持ちで漠然と把握していればよいのかもしれません。
サービスと現金給付のアセットとアセットの最適性
宮本氏の表現にあった「誰のものでもないが、誰かが占有してしまう場合もあるようなアセット」。
サービス給付、現金給付、コモンズ(例えば帰属するコミュニティ)は、市民に一律に配られるギフトパッケージのように既に詰め合わせになっているわけではない、とも言っています。
その内容は一人ひとりの市民の抱えている生きがたさや困難によって異なってくる。
このアセットの複合性と共に、人々にとっての最適性が、ベーシックアセット論の大きな可能性である。
この辺りは、何やらベーシックサービスと似通っています。
こうした曖昧さを払拭するため、ベーシックアセットを理解するためには、3つの観点から視点を変える必要があるとします。

ベーシックアセット理解のために必要な3つの視点転換
その3つの視点とは、
1)コモンズというアセットの理解
2)「再分配」から「当初分配」へ
3)最適なアセットの組み合わせ
であると。
そこで再度、コモンズというアセットの理解を試みるために、同氏の提案事例を見ることにします。
デジタル課税や環境課税による社会保障財源確保につながるコモンズというアセット
1つ目の視点転換は、コモンズというアセットを視野・前提とすること。
具体例を示すと、デジタルネットワークというコモンズ。
すべての利用者が存在・参加して成立するコモンズだが、巨大ITビジネス・プラットフォーマーだけが手にする莫大な利益にデジタル税を課すことで、それらを資源とみなすことができ、実際に社会保障財源とすることができる。
あるいは、自然環境というコモンズにおいては、その私的利益のために浪費され環境悪化をもたらすことに対して環境税を課し、同様に財源化する。
コモンズが、財源・資源すなわちアセットに転換される。
なるほど、これで合点がいく内容が示されました。
ただそれらが無条件に、すんなりと受け入れられ、導入・実現されるかどうかは定かではありませんが。

社会保障給付を「事後的補償から事前的予防へ」、「再分配」から「当初分配」へ
2つ目の視点転換は、社会保障給付を事後的な再分配より、人々の社会参加を可能にする事前の資源(アセット)と位置づけること、と提起します。
言い換えると、「事後的補償から事前的予防へ」となり、米政治学者ハッカーのいう「再分配」から「当初分配」という考え方になります。
この「当初分配」というコンセプト、考え方は良いですね。
当サイト提案のベーシック・ペンションも、当初分配方式です。

最適なアセットを組み合わせるとは
最後の視点転換の命題は、最適化。
その意味は、ベーシックサービスとも共通しますが、こうしたコモンズというアセットを活用できる条件が、障害の有無・度合い、ジェンダー、世代・年齢、物的環境や社会条件などで大きく異なることがベースにあります。
そこでは、給付の共通性とその基準を示すこと、見出すことは難しいですね。
だから個々に、個別に最適な組み合わせが必要ということになるわけですが・・・。
序論における考察なので、一旦ここで終わり、詳細は最終章で。
そう言われればそう受け止めるしかなく、お楽しみはとっておくことにしましょう。
なお序論と最終章以外では、ほとんどベーシックアセットについて詳しく述べられていません。
但し、ベーシックインカムについての同氏の詳論は、<第2章 貧困政治 なぜ制度は対応できないか>で展開されていますので、そこで再度触れたいと思います。
そして、当然、本稿は、ベーシックアセット自体についての序論であり、貧困・介護・育児の政治論を展開した後の最終章< 第5章 ベーシックアセットの保障へ> で全体の総括・まとめを完成させることになります。

ベーシック・ペンションとベーシックアセットとの違いとその概略
総括としての第5章でのベーシックアセットに関する結論を確認した後、当サイト提案のベーシック・ペンションとの違いを確認しますが、一応、ここでその概略を書き添えておきたいと思います。
ベーシック・ペンションは
1)一応現金給付方式だが、ベーシック・ペンションの運用管理だけのための専用デジタル通貨(JBPC)を支給する。(疑似現金給付)
2)専用デジタル通貨給付に伴い、社会保障制度全体の見直し、個別制度・法律の改廃を行う。
3)サービス給付は、それらの新しい関連制度に基づき行われる。
4)その財源資源は、私的財源ではなく公的財源とするが、税・社会保障一体制とは異にする、ベーシック・ペンション自体をコモンズと称することが可能なアセットである。
5)ベーシックサービス及びベーシックアセットで明確に示されていない(示すことが困難な)財源・財政規律に対して、ベーシック・ペンションの導入に伴い、その後の社会保障・社会福祉財源は、税と社会保障一体主義、財政規律主義に則っての運用となる。

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ベーシックアセット提案の宮本太郎氏のベーシックインカム論-3(2021/9/8)
今回は、 <第2章 貧困政治 なぜ対応できないか>のなかでのベーシックインカムとベーシックアセットの関する部分に着目して、宮本氏の考えを確認します。
貧困政治とベーシックインカム、ベーシックアセット
(参考):<第2章 貧困政治 なぜ対応できないか> の構成
1.生活保障の揺らぎと分断の構図
・トリクルダウンはもう起きない
・もはや頼れない家族とコミュニティ
・空転する社会保障
・分断の構造
・分断と不信の相互作用
2.貧困政治の対立軸
・貧困政治の選択肢
・新自由主義における就労義務化
・「第三の道」の就労支援
・北欧型福祉と社会的投資
・ベーシックインカムの台頭
・ ベーシックインカムの機能を決めるもの
・4つの選択肢と3つの立場
3.日本の貧困政治と対立軸の形成
・福祉政治のパターン
・新自由主義の出現
・対抗軸の形成
・中曽根改革・小泉改革と「三重構造」
・ ワークフェアの空回り
・「磁力としての新自由主義」とは何か
4.「社会保障・税一体改革」と貧困政治
・ 民主党政権とベーシックインカム型生活保障
・ 「社会保障・税一体改革」 の始まり
・ 民主党政権と一体改革
・一体改革と貧困政治
・一体改革と信頼醸成の困難
・自民党の生保プロジェクトチーム
・生活困窮者自立支援制度
・社会的投資の新しい可能性
・ベーシックアセットの保障へ
貧困政治の選択肢としての4つの対立構図とベーシックインカムの台頭
こう題した先述記事において、
生活保障政策における投入資源を、<支援型サービス給付の強弱>と<所得保障(現金給付)による所得水準の高低>の組み合わせとしたとき、
1)新自由主義(弱低) 2)北欧型福祉(強高) 3)第三の道(強低) と並んで、4)ベーシックインカム(弱高)を加え、この4つのいずれかが選択されるという宮本氏の考えを紹介しました。
では、宮本氏の想定する<ベーシックインカム>とはどういうものでしょうか。
初めに、BIEN(ベーシックインカム地球(or世界)ネットワーク)の以下の定義を紹介します。
ベーシックインカムは、所得調査を課したり、就労を求めたりすることなく、無条件に、すべての個人を対象として、定期的に行われる現金給付である。
(参考)
⇒ ベーシック・インカム世界ネットワーク(BIEN)の位置付け(2021/3/22)
すなわち、就労支援を重視する<社会的投資>とは対照的で、就労や所得状況とはまったく切り離した制度です。

ベーシックインカムの機能とその評価
そして、こんな断言を同氏はしています。
ベーシックインカムを唱える論者は、ほとんどの場合、生活保障・失業手当、児童手当、年金などの現金給付をこれに一本化し、所得の如何を問わず無条件で給付することを求める。
しかし、これは極めて一面的で、乱暴な括り方です。
どちらかというと右派、新自由主義的立場でベーシックインカムの導入を主張する人の考え方と言え、これと異なる意見、ベーシックインカム論を展開している、いわゆるリベラル系の人々も多々います。
当サイトは、そのどちらにも属さない、異なる理念に基づく提案者です。
そして、同氏は、いくつかの現金給付社会保障・福祉を一本化することに、次のような理由から一定の合理性があると言います。
自治体の生活保護のケースワークに相当の人員を割いていること、社会保険制度に相当の行政コストがかかること、年金機構が所管する複雑膨大な年金管理業務など、ベーシックインカムの導入で、それらの行政経費が不要になり、他の給付に回すことができ、生活保障制度の透明度も増す。
その一方で、以下を懸念します。
国の特定の制度に人々の生活が根本から左右されるのは、たいへん危うく、各種の所得保障を一本化してベーシックインカムが導入され、後にその給付が引き下げられたりすれば打撃は甚大である。
まあ、このレベルの不安を指摘することになれば、ベーシックインカムにとどまらず、すべての政治にリスクが存することを問題としなければならなくなり、例え話としては不適であることは明らかです。
要するに、ベーシックインカムの給付額や既存制度をどうするか、財源をどうするかによって、その効果が大きく異なることはもちろん、それらの違いは、元来、ベーシックインカム導入の目的・方針の違いに存するものです。
従い、ベーシックインカム論を考察・評価する上では、部分のみの提案は評価の対象とすべきではないと私は考えています。
そういう点で、これまでのところの宮本氏の説は、十分な内容・レベルの記述は見ておらず、まだ「論」と呼ぶには至らないとみています。

小沢修司氏と原田泰氏のベーシックインカム提案とその比較
本節において、宮本氏は、小沢修司氏と原田泰氏両氏のベーシックインカム提案を紹介し、若干の比較を記しており、以下に整理してみました。
なお、小沢氏は、日本におけるベーシックインカム論の古典と言える『福祉社会と社会保障改革―ベーシック・インカム構想の新地平』を2002年に発刊。
原田氏は、やはりBI論のテキストの1冊とされている2015年刊の『ベーシック・インカム 国家は貧困問題を解決できるか』を書き表しています。
小沢修司氏のベーシックインカム
・<支給額>:すべての市民に月額8万円支給、両親・子ども2人世帯年間給付額は384万円
・<基本方針>:① 社会保障の現金給付部分をBIで置き換える
② 介護・保育・医療などのサービス給付は削減しない
・<税制>:税控除を全廃し、所得税を一律50%に引き上げ、財源に。
・<その影響>:年収700万円までの世帯はBI導入で、再分配後の所得が増大する
原田 泰氏のベーシック・インカム
・<支給額>:すべての大人月額7万円、子ども同3万円支給、同年間240万円
・<基本方針>:① 社会保障の現金給付部分をBIで置き換える
② 公共事業予算・中小企業対策費・農業予算等の一部を財源に
・<税制>:所得控除を廃止し、所得税を一律30%にし、財源に。
・<その影響>:中所得者にとり現行制度による負担と給付があまり変わらない
高所得者の所得税負担は軽減される
(参考)
⇒ リフレ派原田泰氏2015年提案ベーシックインカム給付額と財源試算:月額7万円、年間総額96兆3千億円 (2021/2/3)
上記で見られる両氏提案の構想の差の大きさについて、原田氏が小沢氏との議論の違いを「イデオロギーの問題」としていることを取り上げ、宮本氏は、原田論は経済的自由主義の性格が強く、小沢論は、より社会民主主義的としています。
しかし、原田氏が、介護・保育・医療などのサービス給付をどうするかは、実は明確に述べていません。
ただ、高所得者の所得税負担が軽減されるということについては、同氏が今は考え方を変えるべきと思っていることを期待したいところです。
小沢氏の提案・主張内容は、まだ前掲書を手にしておらず、確認していないので何とも言えませんが、書のタイトルから想像すれば、社会民主主義的立場での提案だろうと推察します。
この記事に取り組みがてら、Amazon で適切な中古書がないか確認したところ、運良くあったので注文しました。
確認後、報告がてら紹介したいと思います。
貧困政治における4つの選択肢の1つとしてのベーシックインカムの中での選択肢
私自身は、「北欧型福祉」「第三の道」「新自由主義」及び「ベーシックインカム」のいずれも、これからの日本の社会保障・福祉制度の選択肢とすべきとは思っていません。
宮本氏は、ここでは、以下の確認で終えています。
しばしば一つの制度であるかのように論じられるBIも、累進的は所得税で財源を調達し、高い水準のBIを導入するか、現行の税制の枠内で(あるいは減税をして)、経済支援の制度全般を一本化して財源を調達しつ導入するかで、まったく別物となる。
社会民主主義的BIか、新自由主義的BIかという違いである。
加えて保守主義的なBIも考えられる。
その導入のために保育サービスなどの財源が犠牲になり、給付が世帯主の口座に振り込まれ、女性が家庭で家事や育児を担うことの報償のような意味をもてば、ジェンダー分業を固定化させる結果になるからである。
随分暗い例え話を最後に持ってきましたね。
悪い冗談、悪い寓話と無視するわけにはいきませんが、それぞれのどこかに共通点があり、突き詰めていけば、すべてを包摂するセーフティネットとして、そしてよりベーシックな意味での基本的人権としてのベーシックインカムを統合できると考えています。
その一つのヒントになり、選択肢にもなりうるのが、当サイト提案のベーシック・ペンションなのですが、その前に、宮本氏提案のベーシックアセットを深く考える必要があります。

社会的資本としてのベーシックアセットという考え
本章の最後の節のタイトルは、<ベーシックアセットの保障へ>。
同氏提案のベーシックアセットの基本的な知識は、本稿最初の記事で本書の「序」から紹介しました。
一部を繰り返すと
ベーシックアセット(BA)とは、ベーシックインカム(BI)とベーシックサービス(BS)との対比で打ち出した議論。
BIのような私的アセット、BSが強調する公的(行政的)アセットに加えて、コモンズのアセット(参加可能なコミュニティ等)を含めて、人々が社会に参加していくのに必要なアセットの組み合わせを提供する、という考え方
BIは同額の現金給付を、BSは同水準の行政サービスの提供を普遍性の基準とし、制度が公正である根拠とする。
これに対して、BAは、人々を各自が力を発揮できるために必要な最適のアセットとつなぐ、というところにポイントがある。
最適のアセットに繋ぐ方法について、サービス給付については包括的相談支援が重要に。
更に、準市場の制度を洗練させていくこともサービスのアセットにつなぐ制度である。
現金給付については、BIのように均一給付にこだわらないとし、選別的制度として、給付対象の「的を絞る」ターゲティングの方法を納得感が高いものにしていくという考え方も添えています。
同様の考え方・手法で、住宅手当や子どもの貧困率抑制に直結する給付によるBAも事例として挙げ、BAを推奨する根拠として、本章を終えています。
まだまだ、突っ込みが浅い論述と感じます。
最も気になるのは、やはり、運用上の共通の基準を果たして示すことができるか、です。
得てして、社会民主主義的なBI論、そしてBS論では、結局基準を設定するレベルになかなか到達できないのです。
そこに、暴力的な、新自由主義的BIが入り込むことができるスキを与えてしまう側面があると感じています。
当サイト提案のベーシック・ペンション生活基礎年金と貧困政治との関係
しかし、だからといって、当サイト提案の日本独自のベーシックインカム(BI)、ベーシック・ペンション(BP)は、細かい基準を設定することに注力し、拘泥するわけではありません。
むしろ、BP自体は、運用上の要件・基準は簡単にして、関連する幾つかの社会保障制度も、基準を必要なくす、あるいは簡単にすることをめざすもの。
そして、他の社会保険・労働保険を含め、社会保障制度についても極力、分かりやすい基準・規定のものに改正する。
その方針・方向を目指しています。
それが、貧困政治自体を分かりやすく、利用しやすくすることに繋がると考えるのです。
ということで、宮本氏提案のベーシックアセットの総括と評価は、同書の最終章<第5章 ベーシックアセットの保障へ>に到達してから行うこととしたいと思います。

ベーシックアセット提案の宮本太郎氏のベーシックインカム論-4(2021/9/13)
今回は、本書の最終章である<第5章 ベーシックアセットの保障へ>を取り上げます。
<第5章 ベーシックアセットの保障へ> の構成
1.福祉政治のパターン
・三つの政治の相互浸透
・3ステップのパターン
2.社会民主主義の変貌とその行方
・ポスト「第三の道」の社会民主主義再生
・スウェーデンにおける準市場改革
・市民民主主義とコ・プロダクション
・両性ケアへの関与
・地域密着型の社会的投資
3.ベーシックアセットという構想
・二つのAI・BI論
・ベーシックサービスの提起
・ベーシックインカム派からの反論
・サービス給付と現金給付の連携
・ベーシックアセットと再分配
・「普遍性」「複合性」「最適性」
・承認とつながりの分配
・「選び直し」のためのビジョン
理念・構想・指針としてのベーシックアセット、現実性・実現性は?
最終章の初めの節は<福祉政治のパターン>と題して、貧困・介護・育児政治の展開を総括するものです。
これは、ベーシックアセットを論じる上でさほど意味があるものとは思えませんので、省略します。
敢えてその意味・意義を見出すならば、<社会民主主義の変貌とその行方>と題した次節への準備であったと言えるでしょう。
すなわち、宮本氏は、基本的には、社会民主主義的立場での福祉国家構築を望ましいと思っており、<例外としての社会民主主義>によるこれまでの、ある意味偶然・偶発的な一部の政治から脱し、王道としてのそれを推し進めることを意図しての本書であったと考えるのです。
そのために、過去の政治的対立の構図・構造を指摘し、望ましい社会民主主義に基づく福祉国家作りの道筋を示したい。
しかし、そのために決め手となる方針・方策を生み出せない閉塞的なその主張グループに、新たにベーシックアセットという概念を提示し、その実現を見たい。
では、これからの社会民主主義がめざすべき福祉国家、福祉政治とはどうあるべきか。
この節で、その取り掛かりとなる提案を行うことになります。
その表現の一つが<ポスト「第三の道」の社会民主主義再生>というわけですね。
しかし、ここでもまたスウェーデンとの比較が主になります。
もうそろそろ他の国の事例や、海外の学者の提案・説などを持ち出して理論付け・バックアップを図るのは止めにしたらどうでしょうか。
ということで、そうした記述部分は跳ばして、我が国においてベーシックアセットにどう取り組むかという視点に絞って、本論の要旨を抽出します。
再度社会民主主義における準市場と社会的投資を考えてみる
まず、先に投稿済みの記事
◆ ベーシックアセットとは?:ベーシックアセット提案の宮本太郎氏のベーシックインカム論-2
で述べた内容の一部を引用・転載しました。
宮本氏に拠る<準市場>とは、公的財源による福祉制度のなかで市場的な選択の自由を実現しようという仕組みであり、旧来の社会民主主義を乗り越える意図から構想された考え方。
公的財源により、NPOや協同組合もサービス供給に加わり、市民がサービスを選択できることが準市場の仕組みであるとしています。
また、<社会的投資>とは、人々の力を引き出し高めながら社会参加を広げていく福祉のかたちをいい、 生活困窮者自立支援制度を例に取ると、行政が生活困窮者を一方的に保護するのではなく、包括的相談支援で必要なサービスや所得保障につなぐことをめざす方式、となります。
準市場においても、社会的投資においても、公的財源や行政などが出てきますから、「公」の関与は必然としつつ、民業・公的事業などから形成される市場や地域や民間に視点を当てた社会という概念がそこに提示されていることが読み取れます。
社会民主主義に「社会」が付いている意味は、そこにあるというのが私の見方ですが、その道の専門家やそれを目指す人々の考え方・見方はどうなのでしょうか。
ただ、やはり未だに、<社会的投資>の主体がだれなのか、獏としていることが気にはなっています。
もう一つ、社会民主主義では、地域社会が果たす役割が期待されている印象を強く持ちます。
そしてそこでの「社会参加」がキーワードにもなっていると。
社会民主主義と市民民主主義、とコ・プロダクション
そして、こう道は示されます。
準市場や社会的投資をとおして、人々を社会参加を可能にする最低限のアセットとつなぐ。
これが社会民主主義刷新の方向であり、ベーシックアセットの福祉国家への道ではないかと論じてきた。
そのような方向を進む上で、当事者に対して柔軟なサービスを提供できるという点では、行政よりも、非営利を中心にした民間の事業者に強みがあろう。
さらに当事者と周囲の人々がサービスに直接参加できれば、当事者とアセットの距離は最短になりうる。
なんとも甘い考え、というのが私の感想。
そしてここで、スウェーデンの政治学者ヴィクター・ペストロフが提起した「市民民主主義」論を用います。
「市民民主主義」とは、介護や育児などのケアサービスにおける民主主義という意味である。
なんともあっさりした定義(らしきもの)ですが、若干の補足があり、多少抽象的です。
北欧社会民主主義は、民主主義を社会や経済の領域にも拡張してきたが、ケアサービスについては行政主導の集権的な仕組みが続いていた。
これに対して重要なことは、準市場の制度を発展させて、公的な財源のもとで選択の自由を広げ、市民が不満なサービスから「離脱」できるようにすることで、サービスの内容について「発言」できる条件を確保することである。
さらに、「離脱」の可能性をてこにした「発言」という次元に留まらず、利用者たる市民が、サービスを供給する専門職と共同してサービスを実現していくことである。
これはサービスのコ・プロダクション(共同生産)と呼ばれる。
さて、いよいよ理想的な姿が描かれ始めた感じがします。
しかし、これは相当ハードルが高い条件です。
公的な財源がどうして確保できるのか、どの程度確保できるのか。
こうした市民民主主義的営為に行政はどう関与するのか。
なにより、すべての市民が、こうした望ましい選択と発言を、他の支援を利用しつつ実行・実現できるか。
広範なサービス領域に詳しい、公正な立場の専門家を適切に確保できるか。
まだまだ不安な問題を挙げることができましょう。
求められる「市民」の確保・養成だけでも難題と思えるのですが。
そしてそれをサポートするのが、コ・プロダクション。
また新たに知る用語・表現です。
上野千鶴子氏提案の「福祉多元的主義」のハードルの高さ
この「コ・プロダクション」の事例として紹介したのが、社会学者で、執筆書が次から次へとベストセラーになる上野千鶴子氏の論考。
日本では、生協、労働者協同組合、ワーカーズ・コレクティブなどが、介護保険制度や子ども・子育て支援新制度の中でサービスを担っているとし、社会学者上野千鶴子氏が、生協やワーカーズ・コレクティブの福祉サービス調査も踏まえて提案する「福祉多元主義」の基づき描く福祉社会の未来を紹介しているというものです。
「福祉多元主義」、それは
1)官セクター(中央政府と地方政府)の所得細再配分の機能
2)民(市場)セクターにおける資源の最適配分
3)協セクター(協同組合やNPO)における当事者ニーズの顕在化
4)私セクターにおける「代替不可能な情緒関係の調達とケアにかかわる意思決定」
を、「それぞれのセクターの能力と限界を前提にした上で、それらを相互補完的に組み合わせる」ものとしています。
これに対して、宮本氏は、皮肉を込めてか、老婆心(老爺心?)からか(上野氏の方が年長ですが)どうかわかりませんが、こう言います。
間違っても、
・官セクターのパターナリズム(生活介入主義)
・民(市場)セクターの収益優先
・協(非営利)セクターのアマチュアリズム
・私セクターの家父長制
がつながるような事態になってはならない。
官民協私がそれぞれの強みを発揮し合うベストミックスこそが追求されなければならない、と。
私から言わせると、宮本氏自身が掲げるベーシックアセット自体が、獏とし、先行きに不安感を抱かせる概念・理念先行の構想であることを考えると、「そういう言い方はないでしょう」となるのですが。
まあ、あながち指摘は的を外してはいないのですが、お互い様ではないかと。
ひとつだけ、この「福祉多元主義」について思うところを述べると、相互補完的に組み合わせるのは誰か、果たして個々の市民自身が、自分の知識・意識でそうした困難な営み、取り組みを実践・実行できるのか、もし不可能ならば、だれがその役割を担うのか。
大きな疑問、少なくない不安を持つのです。
ただしそれは、ベーシックアセットについて感じること、考えることと同一です。
この節の意図したことをまとめると、この文章になります。
「新しい生活困難層」のように複合的困難を抱えた人々を、包括的相談支援を含めた最適なサービスと所得保障で、オーダーメード型の就労や多様な居場所につないでいく、こうした社会的投資こそ新たな社会民主主義に不可欠となろう。
理想論、新たな困難提示説として、敢えて紹介しました。
ベーシックアセットという構想を考えてみる
さて、主題・本題に戻って。
一応既に
◆ ベーシックアセットとは?:ベーシックアセット提案の宮本太郎氏のベーシックインカム論-2(2021/9/4)
で、アセット、コモン、コモンズ、そしてベーシックアセットとは何かについて述べましたが、正直、しっかりと理解できているとは自信をもっていうことはできません。
なので、一部重複しますが、本項から、それらを抽出し、メモ書きしてみます・
・ベーシックアセットは、カリフォルニア州バロアルトのシンクタンク未来研究所(IFT)やフィンランドのシンクタンク、デモス・ヘルシンキなどが提起する考え方
・普遍的な給付対象となるのは、「有益で価値のある物や人」を総称する「アセット」。
・私的アセット、公共(行政)アセット、コモンズ(またはオープンなアセット)のアセットがある。
・この3つの領域にまたがって、資本、インフラ、空間、自然環境、データ、コミュニティ、権力の8つのアセットがある。
そうした基本をベースに、こう宮本氏は自身の考えを客観的に述べています。
コモンズのアセットを共有していくためには、旧来の再分配の枠には収まらない諸施策の併用が必要であり、例えば、福祉政策と環境政策、住宅政策、情報通信政策などとのリンケージのように。
結果として、具体的な中身は多様になり、その分曖昧さも増してしまう面がある。
このことから、以下の但し書きが加えられることになります。
ユニバーサル・ベーシックアセットは、単一の手段というより、未来の経済政策パラダイムに向けた一個のメタファーであり、問題発見の方向性として理解されるべき、と。(デモス・ヘルシンキのレポートから)

ベーシックアセットの射程の長さと「普遍性」「複合性」「最適性」
自ら、ベーシックアセットの様々な側面での難しさを認識はし、「射程の長い構想」とし、福祉政策の枠内で取り上げ、その重要性を「普遍性」「複合性」「最適性」 から考えてはいます。
「普遍性」をキーワードやスローガンに据えることの危うさ
誰もが社会参加を実現できる条件として予め制度として保障されているアセット。
故に、ベーシックアセットは、普遍主義的ビジョンとして、その「普遍性」を特徴としています。
普遍性そのものは、特定の対象範囲内で意味するのが普通・普遍であり、その特定の範囲内での普遍性が全員に共通・共有化されていることも条件になります。
しかし、得てして、普遍性の捉え方自体や普遍の対象そのものが、共通・共有化されずに独り歩きして用いられることが多いのです。
分かりきったこと、という独断・一人よがりは往々にしてある。
「普遍性」や「普遍的である」とキーワードやスローガンは、イージーに用いてはならないと思っています。
(これは、ベーシックインカムでも、ベーシックサービスにおいても同様です。)
ただし、この構想が、「事後的補償から事前的予防へ」という社会的投資論の構想と重なるという指摘には賛同しますが、「予防」というよりも「備え」とした方が適切と考えています。
なお、これが、再分配から「当初分配(predistribution)」への転換を意味するということについても同意します。
もう一つ注釈が添えられていました。
BIやBSは制度としての普遍主義だが、ベーシックアセットは、レジーム(体制)としての普遍主義であると。
誰もが必要なときに、いずれかのアセットを活用して社会参加を実現できるという点で、普遍的であり、大事なことは、アセットのパッケージを受けとる集団と受け取らない集団が二極化しないということである。
少々理屈っぽいことを申し上げると、「社会参加」という抽象的・情緒的表現が意味すること・範囲の問題がひとつ。
多様なアセットにおいては、当然それらのどれかを利用しない、必要としない人びと、あるいはそれらを集約するとグループは、必ず存在するであろうということも。
多種多様なアセットの内、何かは受け取るに違いない、となれば二極化という表現はあたらないかもしれませんが、個別アセットをみれば、利用・受け取りの有無の二極化は必然です。
そしてここで、それらが社会参加とどう関わるのか。
やはり普遍性議論を深めること、進めることは、普遍的に困難です。

「複合性」が「最適性」をより困難にする
ここで用いている「複合性」は、現金給付とサービス給付のどちらかか、双方かというレベルの複合性に過ぎません。
そして、サービス給付の種類が、本書が課題とした貧困・介護・育児などの領域に見るように多様であることからの複合性。
社会保障・福祉の領域はそれ以外に、医療・年金・障害者福祉、広義には教育も加わり、労働政策との関連で失業・雇用にも及びます。
この書の課題の範囲どころではない、複合性・多様性が必然です。
ショッピングセンターでのワンストップショッピングのように、果たして、個々人のニーズに応じたベーシックアセットの提供が、最適にできるか。
それを可能にするベーシックアセットは、AIをもってすればシステム化が可能というのでしょうか。
「最適性」が意味する、個別対応の「多様性」と「複雑性」が、運用と組織機構の在り方を困難にする
個々人対象は、当然、家族・世帯を巻き込んでの問題に複合化・多様化します。
複数のアセット、コモンズを並行して必要とするのも当然のこと
ベーシックサービスの提供自体を困難なことと批判的に見ている私には、より多様なアセットの提供も加えたベーシックアセットにおける「最適性」の追求は、ユートピア論的ベーシックインカム提案とほぼ同次元、同レベルの事のように思えてなりません。
ここでのユートピア論的ベーシックインカムは、ルトガー・ブレグマン著『隷属なき道』をイメージしてのことです。
ブレグマンとその著に関する考察も、シリーズ化しました。
その統合記事を、当サイトで公開しています。
以下で、見て頂ければと思います。
人の数だけ、家族世帯の数だけの社会福祉・社会保障ニーズの多様性・複雑性に対応するための、ベーシックアセット運用管理の組織自体も実はベーシックアセットの、インフラとしてのコモンズの一つになるわけです。
果たしてそれを可能にする組織とサービススタッフをどうやって確保し、養成し、運営と管理を行うのか。
地方自治体行政機構でも困難な課題を、どうやって克服するのか。
先述の、4つのセクターのベストミックスが、極めて困難な課題であるのと同様の課題が重くのしかかることでしょう。
その解決のために有効な政治。
それもまた新しい福祉国家創造のために超えなければならない「ベーシックペンション政治」として、学者・研究者の課題になるのでしょうか。

「広義性」、「広範囲性」と「抽象性」が、運用業務の質量とコストを際限なくする
個々のベーシックアセットの管理運用形態についての記述には、当然本書は及ぶべくもありません。
結局「政治化」した福祉課題は、主に過去の政治動向に応じた福祉領域ごとの歴史を辿ることと、その政治においての対立軸を描き、区分する作業で、一応それぞれの課題や限界を抽出はしました。
しかし、これからどうすべき、という課題は、福祉課題に取り組む方法論としては、ベーシックアセットに期待をかけるにとどまっています。
しかし、それも政治シュー、政治マター化して取り組む戦略・戦術を提示するはずもなく、これからの取組みのための理念・指針・構想としての本書、でお役御免です。
ベーシックインカムでもベーシックサービスでも最大の課題である財源問題についても、ベーシックアセットのシステム構築に必要な財源についての記述はありません。
相変わらず、<税・社会保障一体化>政策がそのまま通用すると考えているのでしょうか。
普遍的で、複合的で、最適性をめざすベーシックアセットにかかるコスト。
現状では、私には想像不可能です。
まったく考えていないこと、考えられないことも含めて、そうならば、やはり<例外状況の社会民主主義>からの脱却、真の社会民主主義による、ベーシックアセットと福祉国家の実現は、夢物語止まりになるでしょう。
歴史学者や哲学者は、それで良いのかもしれませんが、社会科学分野の研究者はそうであってはまずいでしょう。
ここまで少しばかり駆け足で、言い換えると端折って、ベーシックアセット論を俯瞰してきました。
この外にも、紹介したい宮本氏の客観的で真摯な考察・評価分析もありますので、親サイト https://2050society.com で本書の総括を兼ねるブログの中で取り上げることにします。
ベーシックインカム専門サイトで取り上げた、ベーシックペンション提案書『貧困・介護・育児の政治 ベーシックアセットの福祉国家へ』をもとにした< ベーシックアセット提案の宮本太郎氏のベーシックインカム論>シリーズの最後は、同書の最終章最終節の最後の以下の文章を紹介して終わることにします。
本来は(本書で取り上げてきた)諸制度は、人々が必要とする最適な給付を実現し、日本の生活保障をベーシックアセットの福祉国家に近づける可能性をもっていた。
その意味で、これまで積み重ねられてきた制度や政策を全否定してしまうのは間違っている。
しかし、一連の諸制度の可能性は決して活かされてはいない。
(略)
私たちは介護保険制度や子ども・子育て支援新制度、あるいは生活困窮者自立支援制度などが、本来の趣旨に沿って発展していくように、こうした諸制度を選択し直し、新たな軌道に乗せていく必要があるのではないか。
ベーシックアセットのビジョンや、こうしたビジョンと連携した準市場や地域密着型の社会的資本の構想は、そのための指針となるべきものなのである。
これも時折り見かける「選び直す」という作業、あるいは、営み。
結局、これも何が悪くて、何が間違ったかを曖昧にしたままに、何をどうすべきか、どうするのかの判断を先送りにする方法のように受け止めるのは、私だけでしょうか。
まあ、元々「例外状況の」社会主義、「磁力としての」新自由主義、「日常的現実としての」保守主義、と時流や雰囲気や時の運的な要因で、政治的な対立軸を設定し、論じてきた宮本氏とその書。
別に全否定する気持ちも必要もないのですが、本来の趣旨とやらが、適切であったかどうかは極めて疑わしかったのも事実でしょう。
ならばここは、やはり選び直しではなく、「構築し直し」を選択するべきと思うのです。
すなわち、ベーシックアセット提案も、より深く、広範に、総合的に、体系的に再考察し、他国の研究者や研究機関等の成果物に頼らずに、自ら表現すべきと考えるのです。
日本の社会保障制度整備のための政府の各種専門会議や委員会に関わってきた専門家ならば一層そうあって頂きたいと願うものです。

社会保障制度としてのベーシック・ペンション、基本的人権としてのベーシック・ペンション
当サイトが提案するベーシック・ペンションそのものが、社会的インフラ、すなわち、宮本氏がいうところのコモンズに包含される一種のアセットとなります。
このアセット自体は、現金給付方式によるもの(但し、純粋に現金給付ではなく、専用デジタル通貨)ですが、その現金給付と関連して、他の社会保障制度や年金制度、労働制度などの改定・改革も同時に行うべきことしています。
それらの制度は個別制度ごとに、そしてそれらを統合して総合的に地域包括ケアセンター機能が整備拡充され、運用管理することも謳っています。
もちろん最大の課題である財源問題についても、もちろん問題を払拭できていないことも認識した上で、提示しています。
それが、ベーシックアセットの一つのアセットとして、ベーシックペンションを認識でき、提案できる理由です。
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以上、途中、現時点での追記を加えて、シリーズ記事を整理・確認してきました。
現在、新しい当サイトで、シンBI2050論の進化・深化・シン化に取り組んでいます。
そのため、本稿のように、過去の記事を振り返るとき、必ずと言ってよく「ベーシック・ペンション」という用語が用いられています。
また、進行中のシンBI2050論の内容とは、種々違いや矛盾があることも、気になるところかと思います。
ご迷惑をお掛けしますが、ご容赦頂き、2026年以降の取り組み・記述が、シン化を加えていく論考・提案であることをご理解ください。
シン化していく論考と並行して、本稿のような、過去記事の統合作業も進めていくこともご理解頂ければと思います。

