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島倉原著『MMTとは何か』から考えるベーシック・ペンション|旧サイト記事集約移管シリーズ4

当初、全11回を予定していたが、直接的にBI、BPと関連付けて考察する内容が想定したほど見られなかったので、2つの章をまとめて取り扱うなどしたため、全8回で終了することに変更した。
今回が<第8回>、最終回となる。


これまでの方法と同じように、以下の構成に準じて要点を抽出し、思うところを簡単にメモを。
最後に、本書全体を総括して、シリーズを終えることにしたい。

第9章 民主主義はインフレを制御できるのか:構成

第3部 MMTから見た日本経済
第9章 民主主義はインフレを制御できるのか

・財政の民主的統制は難しい?
・ケインズ型政策がスタグフレーションをもたらした?
・マクロな視点が欠落した『赤字の民主主義』
・民主的統制能力を示す現代の日本
・スタグフレーションには複合的対策を ー MMTのスタンス
民主主義はインフレを制御できる ー MMTのハイパーインフレ論
・民主主義の不在が招いた日本の悲劇
おわりに ー MMTをどう生かすべきか
・主流派経済学はなぜ間違えるのか
・現実とも整合的なMMT
・MMTの課題と展望
・MMTの「実践」が求められる日本
・「公益民主主義」の形成に向けて

ここまでの展開において、筆者はあまり「インフレ」について取り上げてこなかった。
「インフレリスクとその対策」は、ベーシック・ペンション提案における最も重要な課題ゆえ、物足りなかったのだが、最後に「民主主義」という用語を携えて、取り上げられることに。

「財政の民主的統制は難しい」とする財政学者小黒一正氏のMMT批判へ反証

発端は、その批判への反論からである。
「財政民主主義の下では、財政は予算膨張と減税の政治圧力にさらされ、現在の政治家と有権者には財政赤字が膨れ上がるメカニズムを遮断するのは簡単なことではない」と小黒氏。
確かに簡単ではないが、多数派民主主義は、ごり押しで、時に裁量財政主義で財政赤字政策を持続させてきているではないか、財政規律主義を常に掲げながらも。
本来問題は、財政の中身、おカネの使い方にあるはずなのだが。

小黒氏の主張の論拠として取り上げたのが、ジェームズ・M・ブキャナン/リチャード・E・ワグナーの『赤字の民主主義 ー ケインズが遺したもの』。
ここにきて、単純にMMT対主流派経済学という論点を超えて、あるいは論点から外れて、ブキャナンとワグナーに、伝統的ケインズ派・ケインズ理論・ケインズ型政策、その批判者であるミルトン・フリードマンなど入り乱れて、MMT肯定のための反証を筆者が進めることに。

その指摘の一つにあるのが、『赤字の民主主義』では、「マクロな視点が欠落」しているということ。
そう。
実はマクロだけは見落とされ、あるいは評価されない事象があるわけで、その事象自体が誤りであると断定することも、一面では誤りであることを認識しておくべきだろう。
そう認識することが、民主的なのではないかと思うのだが。

一元論、教条主義を自ら戒めるMMTが提示した「インフレ制御は、財政政策でも金融政策でもなく、民主主義で!」という超絶提案!

この後、種々の経済・財政に関する歴史俯瞰作業を行っているのだが、その整理抽出作業を、上記の9章構成の項レベルテーマを適宜挿入して、進めていきたい。

1930年代の大恐慌、1973年10月の第一次石油危機時のインフレ・狂乱物価、1974・75年のスタグフレーション、1978年の石油危機時のインフレ政策など欧米及び日本の都度の経済危機や財政状況における事例紹介と説明が示されている。
しかし、MMTのみが正論と賛同・断定できる知識・理解度を残念ながら持ち合わせていない。

その中の一つに、経済学者・財政学者が好んで取り上げる戦前1931年の高橋(是清)財政とその評価がある。
これなどは、戦時下の異常な政治・軍事的背景における財政がテーマであり、元来、純粋な理論ベースで論じ、どちらの理論の是非を論じること自体、ムリがあると思われて仕方がない。

また第二次世界大戦時の経済の混乱や戦後の厳しいインフレなどを「民主主義の不在が招いた日本の悲劇」。
と例えていることには違和感を感じる。
加えると、「民主的統制能力を示す現代の日本」という見方も一面的。
「スタグフレーションには複合的対策をというMMTのスタンス」そのものが教条主義的であることを戒めているし、反対に、MMTのハイパーインフレ論として民主主義はインフレを制御できるとしていることも、自己矛盾を表していると受け止められるのだ。

MMTをもってしても防げないインフレに対し、MMTは何ができるのか

インフレの要因や対策の記述や分析について具体的に紹介していなかった。
インフレを起こさない範囲での財政支出は可能とするMMTだが、財政赤字でもインフレが起きなかったり、的確な引き締め策により過度なインフレ発生を抑止した例が示されている。

MMTの規範の枠外で起きたインフレ要因は、ウクライナ・ロシア戦争による食料とエネルギーコスト上昇が主因のケースがあれば、不動産や金融バブルが要因のものなどがある。
こうしたインフレに対してMMT独自の対策があるとは示されておらず、従来の金利・金融政策例が主であり、時に政府による救済策が発動されることもある。
どちらかというと、外野から主流派経済学に基づく金融政策・財政政策を眺めて、評価するスタンスとみられるのである。
特定の税を課して、通貨を回収するというMMT特有の政策が議論され、発動されたという例も耳にしない。
これも公益民主主義が未だ醸成されていないことを示すものということになるのだろうか。
いずれにしても、この章のテーマは、インフレの抑制は、MMTではなく民主主義に拠るというものらしい。

MMT批判の井出英策氏は、ベーシックインカム批判、ベーシックサービス及び消費増税提案者

実は、これまでの先入観が強すぎたためかもしれないが、本章を含め、ここまであまりBI、BPとの関係からは、本書からあまり刺激と感じるところは見いだせなかった。
しかし、驚いたことに、財政学者小黒一正氏のMMT批判と連続して、同じ財政学者である井出英策氏が登場し、彼のMMT批判も紹介されたのである。

この井出氏、実は、ベーシックインカム批判者でもあり、替わって、ベーシックサービスを提唱する人物なのだ。
(参考)
⇒ ◆ 井手英策氏「財政とベーシックインカム」への対論(2020/11/9)
井手英策氏「ベーシック・サービスの提唱」への対論:『未来の再建』から(2020/11/17)
井手英策氏「未来の再建のためのベーシック・サービス」とは:『未来の再建』から-2(2020/11/18)
ベーシックサービスは、ベーシックインカムの後で:『幸福の財政論』的BSへの決別と協働への道筋(2020/11/26)
立憲民主党のベーシックインカム方針:ベーシックサービス志向の本気度と曖昧性に疑問(2021/4/6)
信用創造廃止と貨幣発行公有化で、資本主義と社会はどうなるのか:『資本主義から脱却せよ』から考える社会経済システム-3(2021/5/11)

同氏は、旧聞に属するが、過去、立憲民主党の前身であり、既に解党・解体した「民進党」の結党に参画し、同党の政策に自身提案のベーシックサービス(BS)を組み入れた当事者。
現状の立憲民主党もBSを方針の一つとしており、公明党が同氏を招いてBSについて研究しているという話もある。
その井出氏のMMT批判の内容は小黒氏と同質なので省略するが、BI批判を踏まえて提唱するのは、「ベーシックサービスの財源は消費増税で」という驚天動地の内容である。

MMTでは消費税は悪い税とされていることは既に見てきた通り。
高橋財政批判のなかで井出氏は「歯止めを欠いた財政は、敗戦とハイパーインフレに帰結した。軍事費が社会保障費に置き換わったとき、似たような問題が起きないという保証はどこにもない」と述べている。
こうしてベーシックサービスの財源は、財政赤字を積極容認するMMTへの大批判に基づき、大幅な消費増税により賄われることになるのだ。
(この先危ういが)野党第一党もこの政策を方針に組み入れているのだがら、MMTを民主的なものとみなされる道のりは、果てしなく遠いといえよう。

「主流派経済学はなぜ間違えるのか」と提起するが、ではMMTには間違いがないのか。
ずばり純粋にMMTに忠実に実行された国家レベルの財政政策はないのだから、今のところMMTは実践を伴っていない理論にすぎない。
一応、ロジカルに正しいと思われる部分や主張もあるが、果たして、真にマクロ経済として主流派経済学と置き替えられて採用される局面が、民主主義によって出現するのか、当然分からない。

どれだけMMTが「現実と整合的」と主張されても、考え方は分かるし、そうなるであろう、と思わせられる節はあっても、ではどうぞやってみて、と民主的になることもなかろう。
島倉氏が、「日本にはMMTの実践が求められる」と主張しても。
その前に、MMTが民主的に認められることが先に必要である。

1)「就業保証プログラム」は、持続的な制度として実現するには課題が残されている
2)金融政策には景気安定化の効果が乏しい以上、政策金利はゼロが自然であるという議論には、金融バブルの温床になりやすいことから見直す必要がある。
3)経常赤字は海外部門が当該国の金融資産の蓄積を欲した結果であり、国際的な不均衡が生じているわけではないという議論は、国際資本移動のメカニズムの存在、大規模バブルや国際金融危機など不均衡の蓄積などの観点が欠落している。
4)議論の筋や結論は総じて適切だが、用語法が必ずしも厳密でない。
5)主流派経済学の影響を受けている人々に対する説明としては必ずしも的確でない表現がある。
実は、これらは島倉氏自ら指摘している、MMTが抱える問題点の一端であり、こうした自覚をもち、今後の研究や、対話により、克服すべきとしているのだ。
これを単純に、好意的に受け止めるわけにはいかないのは、これまで当シリーズで多少なりともMMTに対する不信や不安を述べてきたことで示してきている。


文化的遺伝子としての貨幣と公益民主主義の形成

国民の税金で政府は運営されており、政府は国民のために働かなければならない。
この租税国家論に代わる新たな物語の不在が、MMTが政策論として定着する上での最大の障害になるのではないか。
この意見に続いて、本書のクライマックスと呼ぶにふさわしい内容として、L・ランダル・レイ氏著『MMT現代貨幣理論入門 』の最終節にある「人々の直感は、『税金で支出を賄う』というメタファーを好む」という表現に続く以下の文章が引用されている。

 我々には、貨幣の新しい「文化的遺伝子」が必要である。
 その文化的遺伝子が、市場、自由な交換、個人の選択から始まることはありえない。我々には社会的なメタファー、私益最大化の論理に代わる「公益」が必要である。我々は、政府が果たす積極的な役割、および政府による我々の役に立つような貨幣の利用に、焦点を当てなければならない。
 政府は、公益のために通貨を支出する。政府は、支払いにおいて通貨を受け取ることを約束する。租税制度は通貨を背後で支え、我々は通貨を強固なものに保つために租税を支払う。
 選挙で選ばれた議員による、透明性と説明責任を備えた優れた予算編成は、政府が過剰な支出をしないことを保証する。


MMTのビジョン=MMTの特徴、再確認

最後の最後は、MMTの特徴として、先述書の帯にある文章を、本書のまとめとしても掲載しているので、これもそのまま転載した。

1)「通貨主権」を有する政府は、自国通貨建てで支出する能力に制約はなく、デフォルトを強いられるリスクもない。財政赤字や国債残高を気にするのは無意味である。
2)政府にとって、税金は財源ではなく、国債は資金調達手段ではない。政府が先に通貨を支出しない限り、民間部門は税金を納めることも、国債を購入することも論理的に不可能である。税金は所得、国債は金利に働きかけ、経済を適正水準に調整するための政策手段である。
3)政府は「最後の雇い手」として、希望する人々全員に、一定以上の賃金水準以上で就業する機会を約束することができる。この「就業保証プログラム」は、「完全雇用と物価安定」という公共目的に資する、強力な経済安定装置である。

率直なところ、このまとめを読むと、MMTが反対に茫洋としてしまうような気がするのだが、私だけだろうか。
1)は分かるとしても、2)で、先の物語の不在を感じさせられるし、3)では、信じがたい、実現不可能と反射的に思ってしまうのだ。
けっしてそれは実証されたことではないのだから。
そして、公益民主主義が、いかなる政治体制で実現できるのかという問い、課題についての回答も、このまとめには含まれていないのだから。

最終章に至って、「民主的」「民主主義」という言葉が急に、そして頻繁に用いられるようになった。
実は何をもって「民主的」というのか、「民主主義」とはどういう状況を意味するのか、極めて情緒的・感覚的なものと考えている。
経済学の世界に「民主」を持ち込み、財政や金融の在り方を論じると、話は一層、抽象的にも、情緒的にもなりうることになる。
結局それは、政治の民主度に問題が帰結することになる。

戦争や大規模自然災害などの非常時・緊急時を、MMTも主流派経済学も、どちらもその理論において想定することはない。いうならば財政政策や金融政策の誤りにおいて発生するインフレ、デフレ、あるいはハイパーインフレを、後理屈で政策の誤りの結果と評価・断定しているに過ぎない。
乱暴だが、素人の私には、そう思える。
そして、島倉氏自身が、MMTの不安や課題についても先述のように認識している。
そして公益民主主義という、経済学の理論と実践とは趣を異にする課題が提起されたわけだ。
主流派経済学を種々の角度から批判し、MMTに対する批判にはMMT流の反証・反論で対してきているが、マクロ経済においてという錦の御旗を常に掲げてのことであることも、重視している実証性そのものをMMT自ら持ち得ていない議論も折に触れ見られたことも述べてきた。

MMTは、租税は財源のためのものではないとしているが、実際の租税の体系と財政政策の在り方を示してはいないし、悪しき税とする「社会保障(制度)税」を現実としてどうするのかについても同様である。
すべてはマクロ経済学ベースのこととされるのかもしれないが、それでは民主的?ではないし、説得力・納得度を下げる。

実は、BIもBPも、結局は政治の舞台に持ち込まれない限り実現の芽はまったくないことをこれまで言い続けてきた。
それは同時に、というか、それよりも先行して、MMTが主流派経済学よりも信頼できる経済理論であり、それに基づく財政政策、金融政策の合理性も理解・同意を得られるまでになっている必要がある。
「財政民主主義」という表現を本書でも用いていたが、それは、政治的な民主主義の存在と一体のものであるべき、となる。
MMTがそこまでになるには、まだまだであろう。
しかし、BPは、MMTと一体のものではなく、MMTなしでBPのロジックを構成・形成し、政治の場での理解・合意を得ることができるようなアプローチを進めていくべきと考えている。

先の島倉論の中で、「文化的遺伝子」という用語が使われていたが、それを目にしたとき、私が提起してきている「文化」としてのベーシック・ペンションという表現を思い浮かべた。
そして「公益民主主義」からは、ニュアンスと用いる状況は違うが、これも重視している「社会的共通資本」という用語も。
これは、BI、BPを経済学、経済理論、そして財政や金融という経済システムの側面からその方針と制度設計を考えるのでははなく、社会システムとしても重ね合わせて構成し、管理運営することを必須としていることにあると思う。

本シリーズを終えて、本書から何を得たか。
正直なところ、MMTを借りずとも、(統合)政府または中央銀行は、自国通貨を発行することができると考えることは可能である。
問題は、過度なインフレが発生しないレベルの財政支出にとどめることが果たして可能なのか、民主主義でそれをコントロールできるのか、ということが一つ。

次いで、インフレあるいはハイパーインフレが発生したとき、可能な限り迅速に抑制・収縮するには、どのような政策・対策が有効か、その手法・方法を整備しておくこと。

そして、過度なインフレが発生しない、しにくい経済社会システムを創造・構築できないか、どのようにすればそれが可能かを研究し、その基盤を整備すること。

こうした観点から本書およびMMTをどのように利活用できるか。

少なくともベーシックインカムを推奨しないMMTとは、根本的には相容れないはずで、BI論者がその提案の論拠としてMMTを用いることには矛盾を含む。
こう考えると、L・ランダル・レイ氏著『MMT現代貨幣理論入門 』とステファニー・ケルトン氏著『財政赤字の神話: MMTと国民のための経済の誕生 』もやはり読んでみるべきとなるが、追々そうするとして、一応整理しておこう。

結論としては、BP提案において、本書やMMTに関する内容のどれを引用すべきではない、ということと、MMTの考え方に基づきという主張・提案は戒めるべき、ということを認識できたといえるかと思う。

経済学の素人ゆえの無理解・誤解を、MMT論者や主流派経済学者から指摘・批判されるであろうことは重々認識している。
不安なまま本シリーズを終えることになるが、もう一つのMMT論者中野剛志氏著どうする財源 - 貨幣論で読み解く税と財政の仕組み』(2023/3/31刊・祥伝社新書)を参考にしてのシリーズを、別の機会があれば取り上げたいと思う。

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