島倉原著『MMTとは何か』から考えるベーシック・ペンション|旧サイト記事集約移管シリーズ4
第6回 就業保証プログラムの独善性と狭隘性:島倉原氏著『MMTとは何か』から考えるベーシック・ペンションー6(初出:2023年7月23日公開)
前回から【第2部 MMTの政策論】に入っており、前回の「第4章 MMTの租税政策論」「第5章 機能的財政論」に続いて、今回は「第6章 就業保証プログラム」を扱う。

第2部 MMTの政策論:「第6章 就業保証プログラム」から
「第6章 就業保証プログラム」構成
第2部 MMTの政策論
第6章 就業保証プログラム
・裁量的財政政策に否定的なMMT
・就業保証プログラムとは何か
・就業保証プログラムの3つの意義
・就業保証プログラムの問題点
・就業保証プログラムの実例? ー 理論と現実とのギャップ
・ベーシック・インカムや最低賃金制度との違い
本章の構成は上記のとおりだが、最初の項は省略し、以降の項について順に概観し、思うところを付け加えていきたい。
MMTにおける「就業保証プログラム」とは何か
MMTによれば、無限の支出能力がある主権通貨国政府には、「常に失業者を雇う支出能力」があり、これを活用して政府が直接雇用を提供するのが「就業保証プログラム」。
すなわち、働く用意と意欲がある適格な「全て」の個人に対して、政府が自ら雇用主となり、就職を約束する政策プログラムであり、「最後の雇い手政策(employer of last resort policy)」とも呼ぶ。
雇われた人々には定められた同一時給が支払われ、各種福利厚生制度(社会保障、休暇制度、OJT、長期失業に伴う健康・家族問題等の改善サポート含む)も提供される。
但し、プログラムへの参加が強制されるわけでなく、任意とする。
基本的に、民間部門と競合する分野でなく、民間部門では適正な価格で提供することが困難なものを含めた、公益的な分野が対象。
また、中央政府がプロジェクトの策定・運営を行う必要はなく、地方自治体、地域の非営利団体・組合組織などが個々に行い、政府は資金供給とプロジェクト承認に特化する方法もある。
民間の営利企業の運営などを認めると、利権や汚職の温床となり、自社雇用コスト削減に悪用される恐れがあり、望ましくない。
ん~・・・
MMTは社会主義???
私も、ベーシック・ペンション導入が目的とし、条件ともする社会経済システム改革の一つの課題に、こうした公的就労・就業支援システムを加えてはいる。
しかし、被用者としての就労・就業にとどまらず、起業や個人事業者としてのその拡充がより望ましいものとしており、ボランティア的就労の拡大も加え、かつ働かないことを選択することも可能とする。
この非常に広範で多様なプログラムあるいはシステムとして機能するベーシック・ペンションを想定している。
それは当然、「完全雇用」「物価安定」というMMTの2枚看板政策のような意義・目的とは異なる機能・目的を持つものである。
就業保証プログラムの3つの意義
この就業保証プログラムには次の3つの意義があるという。
1)事実上の最低賃金を規定し、民間部門の労働条件を改善する
2)雇用と景気の変動幅を縮小し、マクロ経済を安定化する
3)物価の安定をもたらし、通貨価値の土台となる
この3つから感じるのは、そういう一面も確かにあるが、それが絶対的とは決して言えまい、ということだ。
これは主流派経済学においても共通だろう。
すなわち、就業保証プログラム自体の不完全性の問題が厳として存在するであろうし、まさに「マクロ」での見方であり、個別(企業・業種等)経済視点での現実には、理想とするマクロと大きな乖離が必ず伴うからである。
就業保証プログラムはもちろん、それ以外の政策でも、この3つの意義が実現可能な方策を、MMTも主流派経済学も持ち得ていないと私は考えている。
しかし、それは決して悲観的・絶望的なことではないし、社会経済システムとして、より望ましい政策を選択し、改善を継続していくことが必要なわけだ。
マクロがすべてを癒すわけでも、解決できるものではないことを前提・想定しての取り組み、努力が必要なわけで、そこで役割を果たす確率が高い政策を検討・採用していくことになると考える 。
MMT自体が自覚する就業保証プログラムの問題点、および理論と現実とのギャップ
1)あくまでも最低賃金水準での雇用を提供するもので、一定のスキルによりある程度高い収入を得ている人々の失業問題を解決するものではない。
2)当プログラムへの参加者数が景気変動によって増減すれば、同プログラムを通じた公共サービスが、安定的に供給できなくなる事態も生じる。
この二つを、同プログラムの問題点と自ら取り上げているが、細かく見れば、最低賃金という条件があまねく適用されるその賃金額や職種が準備できるのかも実は疑わしい。
2)の問題は、当然のことで、その運営管理自体、非常に複雑で混乱を招く可能性が高いと想像される。
筆者自らこうした想定をしつつ、1930年代の大恐慌を契機としたニューディール政策における「雇用促進局」政策、1997年のアジア通貨危機による韓国での経済危機時の「失業対策基本計画」、2000年代初めのアルゼンチン経済危機時に創設された「失業世帯主プログラム」、2005年のインドでの全国農村雇用保証法などの具体的な例を紹介。
それぞれにおいて、インドの例(モディ政権下では否定された法)を除けば、困難な時期において一時的に導入され役割を終えるにとどまり、持続的な自動安定装置として機能したわけではないと、理論と現実のギャップの存在を述べている。
いずれにしても、筆者島倉氏自身が、このJG就業保証プログラムを全面的には支持・信頼していないことがこの項で示されており、こうした要素・要因がMMTへの支持・信頼を遠ざける要因になっていることは明らかと思われる。
MMTから想定されるベーシック・インカムや最低賃金制度との違いとその問題点
「政府が直接雇用を提供することによって、就業機会と一定の賃金所得を保証する。」
この就業保証プログラムと類似したところがあるのが「ベーシック・インカム」と「最低賃金制度」である、と。
MMTは、決してその理論体系の中で、ベーシック・インカムを推奨しているわけではないにも拘わらず、筆者の論述が、第2部最後の章及び項で付け加えられたわけだ。
本来、当シリーズの目的・意図を考えれば、その内容をできるだけ紹介したうえで、考えるところを述べるのが望ましいのだが、それではあまりにもボリュームが大きいので、要点を簡潔に整理してみたい。
MMT論におけるベーシック・インカム評価
一応、ベーシック・インカム(BI)とはどういうものか、その目的・意義及び特質を示したうえで、これまで紹介してきている、L・ランダル・レイ氏著『MMT現代貨幣理論入門 』では、BIを「失敗に終わった・・・戦略」では、否定的に評価をしていると紹介。
加えて、MMT派の一人、先述のアルゼンチンの失業世帯主プログラムに関して、レイと共同研究も行っているパブリーナ・チャーネバの意見として、「セーフティネットは就業保証プログラムのように、所得と就業機会の両方を保証したものであるべき」とし、BIが抱えるインフレ助長的構造などの種々の問題点を指摘し、その理由・背景を付け加えている。
いずれ別の機会に、彼の指摘を詳しく紹介できればと考えているが、果たして、MMTによる完全雇用、就業保証が理論?どおり、(というよりも、理想通りと表現することの方が適切と思うが)持続的かつ公平性をもって具体化・具現化できるものか、件の失業世帯主プログラムで実証されたわけでもないので、非常に説得力に欠けるものとしておきたい。
筆者島倉氏自身の、これに対する意見も明示されていないのだから。
最低賃金制度とMMT
最低賃金制度に関しては、『MMT現代貨幣理論入門 』では特に言及されていないとしつつ、やはり否定的な評価につながっていると、やや腰が引けた状態での記述にとどまっている。
就業保証プログラムによる賃金支払いが家計所得の増加を通じて消費や投資を活性化し、結果として利益が拡大する民間企業にとっても賃上げの合理性をもたらす。
これに対し、政府支出を伴わない最低賃金制度による家計所得の増加は、民間企業全体の利益減少によりもたらされ、民間企業の雇用意欲を低下させるだけでなく、将来の生産能力増強に向けた投資意欲も低下させる。
結果、完全雇用水準から遠のき、賃上げや生産能力低下によるインフレ圧力が生じ、スタグフレーション状態に陥れるリスクがある、と。
この論述も、いわゆるマクロ経済視点での、一面的かつ総論的な指摘で、中身は、主流派経済学の指摘・主張とそう変わらないことになっていると思われるのだが、これを筆者はどう考えるのだろうか。

<第6章 就業保証プログラム>から考える、ベーシックインカム、ベーシック・ペンションにおける労働・就労・雇用・仕事の基本的考え方と根本的な違い
就業、労働、雇用、失業をめぐる定義問題とMMTの非現実性、実証不能性
先述の一部MMT論者は、所得も就労もと欲張っているが、その両者の実現がBIでは不可能とみなしていることに合理性はない。
BIあるいはBPは最低所得保証制度と受け止められているが、それは、働かなくても基本的な生活が維持できるレベルの給付を受けることで、就労保証は不要と考えてもよいわけだ。
失業の定義が、就労意欲を持たない人を除外しているように、すべての人々が就労を義務付けられるべきとは考えていないのが、BI、BPの特徴でもある。
また、これまで「ウェルフェア」の在り方を追究してきた多くの社会保障論者や、負の所得税や給付付き税額控除制度をもってベーシックインカムにすり替える政治家においては、このMMT論者と同様に、人は働かなければならず、働かざるもの食うべからずという「ワークフェア」主義をとっている。
そしてその前提は、雇用・被用という一部不平等を含む労働契約関係にある。
雇用形態のみが労働・就労形態であるか、その答えは自明である。
政府公的機関が用意した、あたかもそこに集う人々を、仕事の内容の違いを超えて公平に遇することなど不可能であるし、そうした支援制度をもって完全雇用を実現するには、多くのひずみ、矛盾が生じることは容易に想像できる。
そもそも、政府の財政支出が、完全雇用を実現するまで可能であるとする考え方自体が、現実性・実現性を欠くと考える。
MMTとベーシック・ペンションとの関係には、一線を画すべき
ここまでの本書の中では、物価安定やインフレなどと関連付けてのモノやサービスの需要と供給のバランスの視点での論述はほとんど見られなかった。
要するに、マクロ経済学視点での議論では、MMTにしても主流派経済学をもっても、失業率の増減の確認作業はできても、常に動いている社会経済において完全雇用達成を見ることは不可能であり、適切な?財政赤字レベルを規定あるいは確認することも不可能であろう。
「最低賃金制度」もBPでは総合的制度体系の中では、必要としている。
現状の社会保障制度体系も、BP導入時には、総合的に改革を行うとしている。
MMTからBI、BP提案に援用できる考え方や内容がないかを探ることが目的でのシリーズだが、2~3年前にこれを知ってから、MMTに対する思いや理解度、そして支持度が決して高まってはいない。
それは、MMT論者自身がBIを支持していないがためでは決してなく、MMT自体が持つ独善性と、理論や実証という自ら用いる用語のご都合主義性にあると結論を出しつつあるためだ。
まあ、BPそのものを、日本独自のベーシックインカムと規定しているわけで、既存の何かに依存したり、移し替えたりすることは極力避けるべきと考えている。
そこで、次回から入る【第3部 MMTから見た日本経済】では、島倉氏が日本経済と結び付ける形でMMTを援用して論じているので、興味関心をもって臨むことができると期待している。
その初めに、「第7章 日本は財政危機なのか」を取り上げる。
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